2018年1月2日火曜日

色々なジャッジのやりかたの考察 ~ジャッジが使用する基準リスト、よくあるジャッジスタイル等~

先日、"ある若手の方から「ジャッジのやり方」が世代や大学により大きく違って、そのギャップの理解が追い付かずに理不尽さを感じてしまうことが多い"というご相談を頂戴しました。

もちろん即興型ディベートにおいて色々なジャッジの仕方があり、それは十人十色であるべきです。なのでジャッジブレイク/評価制度を通じて"より納得感のあるジャッジ"を目指すインセンティブが存在したり、決勝トーナメントでは複数人ジャッジを配置するわけです。なので、完全にジャッジの仕方の標準化などはすべきでもないですし、できないと思います。一方で、様々な「ジャッジのやり方」を知ることは、ディベーターとしての成長にも寄与するだけではなく(=より多くの人を説得する)、ジャッジもよりレベルアップにつながる(=より多様なジャッジングができる)ため有益でしょう。

したがって、今回のポストでは特に、ジャッジが使用する「基準」に関して考察したいと思います。(ジャッジはディベートの内容・全体像を理解した上で、「特定の基準(観点・視点・比較軸)」を用いて比較をするというプロセスがあるかと思いますが、その「基準」の話です)

目次は下記のとおりです。
<1.基準リスト>
<2.(ak_debateの偏見による)基準リストを踏まえた上でのよくあるジャッジスタイル>
<3.事例:ak_debateのジャッジの癖は?>
<4.基準を起点に考える、良いジャッジとは?>


<1.基準リスト>
このリストの注意点だけ先に。
1.包括的では無いと思っています。あくまで、ak_debateの知っている範囲で書いています。
2.下記の基準の理解は人によるかと思います。あくまで、ak_debateの解釈です
3.また、繰り返しになりますが「特定の基準がどれかより良い」という話ではないです。

【Matter関連の基準】
・Relevancy/Uniqueness (モーションのWordingや背後にあるSpirit of the Motionとの関連性)
・Exclusivity (肯定側/否定側にのみ起きるかという排他性)
・Logic(ideaを支える論理。MECEも参考になる。参考記事はこちら
・Example/Case Study/Analogy (ideaの具体例・ケーススタディや類似例)
・Consistency(ArgumentやMatter全体の矛盾の無さ)
・Responsiveness (反論の強さ)
・POI (POIの内容やそれへの対応等)

【Manner関連の基準】
・Framing (絶対的Impactと相対的Impactの明示等。絶対的Impactの中ではminorityを守るのような、いわゆる"聞こえの良さ"も入る。参考ブログ記事はこちら
・Structure(内容の分かりやすさ。結論から話されているか、ナンバリングがされているか、話の間の有機的なつながりがあるか、等)
・Wording/Rhetoric/Visualization (効果的・効率的なWording、レトリック、"イラスト"=描写等)
・Non-verbal Languages(ボディランゲージ等パブリック・スピーチ上効果的な非言語的なコミュニケーション)

【Role Fulfillment/Technicality関連の基準】
・Dynamics (重要な議論が早い段階で出ているか)
・Team/Speaker Role (例えばBPの場合はClosingがKnifingしていないか、PMであればset-upができているか等)

<2.(ak_debateの偏見による)基準リストを踏まえた上でのよくあるジャッジスタイル>
※繰り返しになりますが、誰かを否定する意図は一切ありません。
過去のジャッジを通じて「いろいろなジャッジがいるなぁ」と思った際、無意志的にこういう分類をしていたのを棚卸しました。

・「内容(Matter)重視」 vs. 「見せ方(Manner)重視」
前者は、内容を細かく見て、logicやその反論等を丁寧に追っていくスタイルです。調査型ディベートの出身や、海外だとアジア、北東アジアのジャッジはどちらかというとMatter重視なイメージがあります。
後者は、どのように伝えたかをより重要視するスタイルです。海外だと、非アジア圏(オーストラリア、ヨーロッパ等)がこの傾向が強いイメージがあります。
もしかしたら、例えばイラストをした際に「それはrhetoricalだったが印象操作でしかない」ととるか「十分に感情に訴えかけてきており評価する」ととるかでも分かれる気がします。

・「Principle重視」 vs. 「Practical重視」
前者は「Practicalが立ったとしてもそれがなぜ大事か」まで踏み込まないととらない、ないし、Principleのgov、Practicalのoppだとgovに入れる傾向にあります。海外だと、ヨーロッパ圏のジャッジが特に好きなイメージがあります。また、哲学科などの専攻のディベーターが好きな傾向もあります。
後者は「結局はPracticalが大事」だという価値観の下、上記のシチュエーションだとoppに入れる傾向にあります。海外だと、アジア圏のジャッジが特に好きなイメージがあります。

・Utilitarian vs. Non-Utilitarian
上記と少し似ていますが、功利主義的に評価するか(=インパクトの大きさでとるか)、非功利主義的な話まで含めて評価するか(場合によっては功利主義の話もその重要性までないととらない)だと思っています。
一番難しいジレンマは例えばTHW legalize torture.のようなモーションで「多くの人が助かるから拷問しよう」vs.「人を手段として使用してはらない」のような話が対立した結果、結果大きさを優先するのがgov、プロセスの悪さを優先するのがoppに入れる気がします。

・「General Theory」 vs. 「Specific Contents」
前者は抽象的であったり、ややgenericであっても十分にとり、後者は具体論でないと取らないという癖です。 例えばTHW legalize all drugs.のようなモーションの際、generalなfreedom of choiceでも十分にとるか、具体的なdrugのユニークネスまで踏み込まないととらないかという差分があります。

・gov有利 vs. opp有利 / Opening有利 vs. Closing有利
これは無意識のうちに、何かしらのバーデンの重さがあるという場合です。
gov/opp有利に関しては「govがbenefit 0, oppもharm 0」のような仮想状態の際にどちらに入れるか?という質問をした際どちらに入れるか?という質問でもわかります。
Opening/Closingに関しては、OpeningとClosingが仮に同じくらいの貢献をしている際に、「時間が少ない中CaseをつくったOpening」をとるか、「先に話せるにもかかわらず同じくらいCaseをつくれなかったOpeningを十分に抜いたClosing」をとるかの好みだと思います。

・問題解決モーション時のGovの説明責任重視型 vs. Oppの説明責任重視型
上記のgov 有利 vs. opp有利の話の延長線上にありますが、policy motionで特に問題を解決することが求められる場合の説明責任をどれくらい持たせるかです。
govの説明責任重視型の場合は、問題の深刻性、その発生原因、その解決策としての適切性等を説明することが求められています。oppの説明責任重視型であれば、既存の枠組みや他の枠組みによってその問題をどの程度解決できるのかというのを単純に「alternativeとしてこう」というアサーションではなく、どのように問題を解決できるのかある程度詳細に説明することを求めてきます。
個人的にはこの部分は海外とずれがある気がしており、Asian Style、特にAustralsにおいてはgov、opp共に問題解決のバーデンがそこそこ同じくらいある印象がある一方、国内ではややgovに厳しい傾向があるかもしれません。(一方で、こちらのように過去にはgovが説明しなさすぎで苦しんだ事例もあるようなので、結論としては、gov、opp同じくらいの説明責任を求めるというところが落としどころなのだとおもっているのですが、精査は必要だと思っています) 参考:ICUブログ

・ClosingにおけるNew厳格型 vs. New寛容型
Opening有利/Closing有利にかかわるかと思いますが、ClosingのNew Analysisをどれくらい重くとるかで分かれると思います。確かに、”Anything that opening did not say”がExtensionになり、反論もcontributionになることは誰も否定しないのですが、その貢献の大きさとして、オチ/Impactも違うようなCompletely Newを求めるのが前者で、ほぼフレームはでているが間のロジックを追加することもそれと同じくらい重要な貢献ととるのが後者です。同様のことは、具体化・Case Study・Impactの追加等でも生じるかと思います。

・Framing 超重視 vs. Framing重視
「はっきりと明示しているか」どうかをとても重視するかどうかです。
この話は特に反論/立論のとりかたや、Closingのとりかたで顕著になります。
例えば、反論/立論を「相手のこの部分に反論している」とはっきりとFrameしていなくてもとるかどうか(=ハッキリ言っていないのでとらない vs. ハッキリいっていないが、とはいえimplicitに分かる)、Closingでも「これがExtensionだ」「このExtensionはOpeningを抜いている理由はXXXだ」とはっきり言っていなくてもとるかどうかで分かれます。
なお、最近アジアではFraming超重視型が流行っている気がします。

・Stance 超重視 vs. Stance重視
チームや個人としてのStanceを超重視するかどうかです。
前者の傾向として、例えばPMの話とDPMの話が異なる場合/シフトがある場合、大きく評価を下げます。

例えば、以前この記事でも書きましたがこういう現象です。
また、日本では驚くべきポイントだったと思いますが、同じくそのHigh School Pre-Semi Finalで、PMがpoliticsの話に終始、LOがそれもあるがfeminismも大事だよねと言い、DPMがそれに対応する形で両方話したものの、私以外のジャッジ2人は「それじゃ遅すぎで4位」と言っていました。(そもそも分析の深さやエンゲージで下がるなぁと思っていたので順位は一緒だったのですが、そんなに重く見るんだ、とちょっと驚愕しました)もちろん、その2人がstandardなジャッジなのか?という点は注視する必要はあるかもしれませんが、それくらいにSell your ideaがしっかりしていないと評価が下がる、という例かもしれません。
・Hard Stance好き vs. Soft Stance 好き
上記と少し関連しますが、「これもこれもこれもOK」という話を評価するかどうかです。
例えば、THW legalize hate speechの場合、governmentはdefamationもlegalizeするスタンスでないと評価しないのがHard Stanceが好きな人の傾向であり、「いやそこまでやらなくてもdifferentだし、radicalすぎる」と思うのがSoft Stanceが好きな人の傾向です。

・Contradictionへの厳格型 vs. 寛容型
Stanceと関連しますが、Contradictionがあった際にどれくらい重く見るかです。厳格型ですと「矛盾があった時点で著しくチームとしての評価/点数を下げる」ことになりますし、寛容型であればその部分だけとらない、矛盾する点のみとらないなどの対応をします。近年国内外のブリーフィングでもスタンスが割れているようなホットトピックの一つです。

・ディベートのゲーム性超重視 vs. ゲーム性重視
いわゆるディベートを「競技」としてとらえる度合いの違いです。例えば、POIのやり取り/とった、とらなかったをかなり重く見たり、Dynamicsを重くとるかどうかです。

・ロジック(・説明)重視型 vs. 直感重視型
前者であれば、どのような話においてもロジック(理由)を重視します。後者であれば、一般感覚的に分かるのであればロジックが薄くても十分にとります。例えば、「女性をモノとして扱ってはいけない」「人を殺してはいけない」のような話の際、とはいえ抽象論(全ての人は目的をもって生まれてきている)アナロジー/Case Study(人権がuniversalに認められている)等の説明を求めるのが前者で、「そこまで説明しなくても一般感覚としては分かる」とし重いバーデンを置かないのが後者です。

・ディベーターが設定したBurden重視型 vs. ジャッジとしてBurden設定型
前者は、あくまでディベーターが言った内容をBurdenとして捉えるスタイルです。例えば「OppositionはこれにこたえるBurdenがある」とディベーターが言った際に何もOppositionが言わない場合はそれを是として捉えます。また、Self-Burdenでも「これを説明します」というのを説明すれば取るスタイルになります。一方で後者は、モーションのSpiritを勘案し、自分でBurdenを設定し、それを説明としているか否かで判断します。先ほどの例で言うと「OppositionはこれにこたえるBurdenがある」と言われた際も「それは合理的に無い」のような判断を設定したり、Self-Burdenも「それだとモーション肯定・否定に至っていない」と裁量を発揮する傾向にあります。

<3.事例:ak_debateのジャッジの癖は?>

上記だとやや抽象論かもしれませんので、ak_debateのジャッジの癖を具体的に書こうと思います。といっても、実は私も時代によって変わってきている気もしたり、私がここで書いたことがすべてではないと思うので、あくまで主観的であることを断っておきます。また、他にも色々ありますが、いったんこれくらいで。

・「内容(Matter)超重視」→「内容(Matter)/見せ方(Manner)どちらも重視」
以前は本当に1にも2にも、Logic, Relevancy/Uniqueness, Exampleのような基準を優先していました。例えばイラストだけ話されていても「ただの印象操作」だと思っており、あまり評価しませんでした。なのでLogicのgov、イラストのoppとかであれば明確にgovに入れていました。

その背景には、おそらく自分の癖や勝ち方としてMatter重視があった(=自分がMatterを理由に勝ちをもらっていたり、ライバルがMannerもうまかったことの悔しさ(笑)があったのかもしれません)のかもしれません。一方で、NEAO、UADC、Asian BPのようなアジア大会では所謂「愚直なMatter」を評価されないことが多かったのです。(内容が全くないような印象操作だけのチームに負ける、等)したがって、Mannerも十分に大事なんだと思い始めMannerも評価するようになりました。この傾向はAustralsでも思ったのは別途こちらで書いています。

さらに近年は、職業柄「明示的に言うことが良い」とされており、そうでないと話者の責任だというカルチャーもあるため、より見せ方を重視する傾向になっています。

・Principle重視→Practical重視
以前はLeaderを行っていたことや、憲法学/哲学に関係する本等で得た知識も色々あったので、Principleをすごくとっていた傾向にありました。Animal Rightにしろ、Free Choiceにしろカント主義的な話にしろ、好きでした。一方で、ジャッジをするようになって、principle vs practicalになってしまうと、どうしてもpracticalが個人的には分かりやすいためとってしまう傾向が強くなったのだと思います。また、アジアのディベーターはゴリゴリPracticalでごり押してくるスタイルですごく好きというのもあり、今でも結局Practicalは好きなのだと思います。

もしかしたらこの背後には、1つめの話と関係して、また自分が知っているが故の、Matter重視があるのかもしれません。Principleをロジックなしに建てられてもなぁ、というのが自分の感覚であり、例えばFree Choiceであるならbodily autonomyがなぜあるのかだとか、そのanalogy等を含めて話してくれないと、というexpectationがあるのかもしれません。

・Example/Case Study/Analogy重視
で、結局どういう例なの?という話はとても重視する傾向にあります。Example, Case Studyの中で明示的にLogicがなくても比較的とることがあります。(わからなくはない、という点で。もちろん明示的にLogicがあるほうが当然評価は高くなります。)
この背後にあるのは、おそらく2年目のADIで言われたトレイナーに言われたアドバイスです。「話は十分に分かるけど、よりconvincingになるためにはreal-life exampleがないといけない。」(もちろん、そもそも特にCase-Studyが多い海外の教育機関で学んだこととかも影響しているのかもしれません。)なんなら、このセクション自体事例ですしね。

他にも、同期からオーストラリアの傾向も聞いていたからかもしれません。
ICUの同期による記事を、一部引用します。

⑦ 知識量の差
僕たちICU1は最強チームとあたった訳ではなかったので、この点はラウンド内で感じた訳ではなかったですが、大会全体を通して感じました。やっぱりevidenceがあると自然と説得力が増します。
Octoのacademic achievementに応じて学校への助成金の額を変えようmotionで、USU2のPMは「この政策は既にNYで導入され、成功している。それを受けてArizonaなど他の州でも試されてきている」と序盤から捲し立てていました。
R6(米国は台湾への武器輸出をやめようmotion)が終わったあと、Melbourne1のベテランディベーターが「近年、米国は92年、?年、08年、そして今年の1月に台湾に思いっきり武器を輸出したよね。その度に中国は軍事演習やるとかいう反応を示したよね。それぐらい中国にとってはsensitiveなissueなんだよねー」と教えられてしまいました・・・

<4.基準を起点に考える、良いジャッジとは?>

勿論内容を全部見ている(=このラウンドがこういうラウンドだったという理解が網羅的・正確)である前提で、ですが、その際良いジャッジとは何なのでしょうか?

これに正解はないのですが、基準だけに限って言うと、私は複合的に基準を用いることができるか、にかかっていると思います。要は特定の基準だけで物事を見ないのか、かと。
よく陥りがちなのは、「logicで見ました!!!」「Framingで見ました!」等特定の基準に飛びついてしまうパターンです。それ以外もあるじゃん、と言われた瞬間に「あっ」となってしまうことがよくあります。色々な基準があってそれは皆違ってみんないいとおもっているのですが、となった際の落としどころは「多くの基準を使用する」ことかなと今ak_debateは思っています。

なのでアジアのジャッジとかだと「There are 3 reasons that you lost」のようにジャッジする人もいます。これがbestなのかはわからないし、「え、そこまでボコす?」と思う時もありますが、1つの基準だと納得してくれないがゆえに、複数基準で見るようにしているのかな、と思っていました。特にBPであればなおさら、複数基準で議論することが海外勢と話していると多いなという雑感です。

また、他の解としては「ディベーターが明示した基準を用いる」というのもあると思います。これで比較してよと言っているんだからそれで見るのがフェアだという考えです。最近ak_debateもそうかもなと思っている一方で、それはそれでFraming超重視の考えでもあるし、そもそもその基準が正しいんだっけ?というところまで踏み込まないといいジャッジではないのでは?とも思っており、絶対的な解には至っていません。

とはいえ、また、「これで決めるの?」というのが通説的に「おかしい」とされているものもあると思います。例えばMannerでのNon-verbal Languagesを理由に勝ち負けはたぶんつけません。説得力がどれくらいあがったかというのには当然寄与するのでスピーカースコアには跳ねたりすると思いますが。

いかがでしたでしょうか。

なお、最後に改めて強調致しますが、「特定の基準を用いるジャッジがいい、悪い」という議論をしたいわけではありません。ちゃんとディベートを理解した上で根拠のある説明ができれば「イラジャ」ではなく「ダイバーシティ」だからです。あくまで、私の経験上色々な基準を用いるジャッジがいるのでそれを知っていくことがディベーター/ジャッジにとって良いかなと思っている意図でこの記事を書いたことをお断りしておきます。

また、この記事を書くにあたって何人かの方にフィードバックを頂きました。基準、スタイル等他にございましたらお気軽にご連絡ください!

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