2012年5月10日木曜日

先輩の義務

ディベートがうまくなった人はもちろんその人の努力も相当合ったと思うけれども、周りの環境によってディベートがうまくなった要因が必ずあるはずです。エジュケとか、ジャッジとか、ラウンドとかです。一人ではディベートはできないので。そう考えると、一定のレベルになったらしっかりと行動することでディベート界や後輩に還元する義務があるはずです。

自分がよければそれでいい、という考え方もありうるとおもいます。実際犯罪をしているわけじゃないので。だけども、本当にそれでいいのか?と問いかけることには意味があるはずです。

あと、「自分は違うはずだ」と思うことが一番恐ろしいことす。というのも、あたりまえだけど義務を履行するに当たっては骨が折れることはあります。それは面倒くさいこともあります。となると、「自分は違う」と考えて正当化に走る可能性があるんです。そうやって、実は自分も義務を放棄していることに気づかないことがありうるんです。それが、何より一番怖いですよね。

あと、自分はたいしてうまくないから、そんな恐れ多いとか、思っていませんか?それは関係ないです。やれることは必ずあります。ジャッジをする、ディベートの理論考える、後輩を他大学につれていく、相談にのってあげる、できることは無数にありまず。「自分は能力不足だから」というのは、実は最大の逃げだと思います。

自分ができているかは僕が判断することでは有りません。でも、これらをやっていないひとが、老害なのでしょう。



ディベートの楽しさを知ってほしい

後輩がディベートの楽しさに気づかないうちに本人ではどうしようもできないような要因に左右されながらやめていくことが一番悲しいです。例えば、ジャッジがいないからとか、大会に出る雰囲気があまりにもないとか、全然結果が出なかったからとか ・・・ ・・・。そういう要因を少しでも取り除いていくのが、先輩の義務なのではないでしょうか?

2012年5月1日火曜日

極端な発言

そういえば、誰もが極端な発言をたまに言ってしまうことがあります。
僕自身も、「途上国では人が死んでて~」みたいな言い方をしているような気がします。

誰かの名言なのですが、「極端な発言をしているのは、そのことに関して知らない証拠」らしいです。

精進します。

ジャッジのすすめ

ジャッジはどんどんしましょう。

最初は誰もがイラジャです。

最初からいいジャッジの人なんてよっぽど天才的な思考回路の持ち主なような気がします。(一部はいるのですが ・・・ ・・・)
少なくとも僕はそんなに要領がいいほうではないので、今思い返してもよくわからないDecisionを出したこともあるような気がします。

ですが、練習あるのみですね。確実にジャッジはうまくなるので。

未来を語ること

未来を語る人になろう!
伸びる可能性があれば、年老いても未来を語る。
過ぎ去った栄光を語る人は、そこで成長はとまる。

-ロバート・コンクリン


すごくいい言葉ですね。過去の栄光にすがりつくのは容易いけれども、そこから将来に目をむけるのは難しいからなおさら。