2012年2月26日日曜日

「考える」こと

すごい時間の投稿です。苦笑 急に目が覚めてしまって。

ディベートがなかなか上手くならない、どうすればいいのか、という声を最近よく聞くように思います。特に今、世代交代が起こりつつあり、かつもうすぐ節目に至ることからでしょう。

確かに、ディベートというのはなかなか長い道のりであるようにも思います。英語と言う外国語で、自分の知らない分野に関してスピーチをするということは、客観的に考えるとすごいことだと思います。

そこで、コツなんですが、僕はずばり「考えること」と「諦めないこと」を軸にして欲しいなと思います。
思えば、自分もディベートを3年間やってきたときに何を大切にしてきたのかと思い返すと、考えることだったと思います。

これだと少し抽象的ですね。苦笑


まず、考えることです。

どういうことかというと、ディベートって何なんだろう、自分の弱点って何なんだろう、どうすれば上手くなるんだろう、上手い人の共通点ってなんなんだろう、いい練習方法って何なんだろう・・・・・・と一つ一つ考えていたように思います。

ラウンドをしている時間だけがディベートではありません。ディベートはある種普段の生活の中でも上手くなるものだと思います。ラウンドに時間をかける人が必ずしもディベートが上手くなるという相関関係はないように思います。ラウンドは確かに有用ですし、僕自身もラウンドを中心に練習を組み立てるタイプではありますがラウンド以外の練習法も必ず存在するからです。

「考える」って抽象的だろ!どうすればいいんだ!というお叱りの声もあるかもしれませんが、もしそう思っていたとしたらこう言い換えさせてください。「そこを考えろ!」と。

自分が共通して感じたのは、上手いディベーターはやっぱり何かしら考えているということです。独自のディベートのきり方を持っており、「こうあるべき」というしっかりとした軸を持っています。

例えば、先輩であるあの有名なI戸さんは、部内でも多くのレジュメを作成していました。そのレジュメは年を追うごとに洗練されており、最終年にはAsianにおいて「Case」という観念を中心とした「説明責任」を考えるに至っています。

ディベートは人を説得するというある種明確なゴールがあるため、それにいたってさえいれば、どのようなアプローチも可能です。自分にあわせたアプローチを是非、模索してください。

次に、諦めないことです。

ディベートはやっているうちにめげる事があります。最初のうちはディベートの型を習得していく過程で上手くなっていると実感する機会も多くあるのですが、その後はなかなか上手くなっていないと思ったり、壁を感じたりしてきます。そうなると、他のことが魅力的になってきたり、ディベートを休もうと思ったりします。そうなると周りがうまくなっていたり自分が下手になっていたりし、さらにやる気がなくなっていく。特に、大会で結果が出ないと辛くなるでしょう。

この話をすると意外に思われるのですが、ディベート・フリークである僕でさえも、何回もディベートを離れようと考えたことがあります。1,2年の時何度も感じたことです。思ったように上手くならない、結果が出ない時期があり、「なんでこんなことに時間をかけているんだろう」と思ったこともありました。

ですが、壁にぶちあたるということは、逆にそこまでの過程を踏めたという意味も持ちます。前に進んだ人にしか壁は触れないものなのではないでしょうか。(壁は迫ってきませんし。)そして、それを乗り越えると大きな成長の可能性があります。

そして、人によって多少の向き・不向きはあると思いますが、原則としてディベートは誰でもうまくなります。それは、誰一人として例外ではありません。僕はきれいごとがあまり好きではないのできれいごとではなく、本当です。それは、ディベートを考えていると確かに英語力・知識などで最初のスタートポイントが違うことはありますが、だからといってそれが埋め合わせられないものではありません。もし仮に上手くならない、という前提をとると、誰もが英語を喋れないということ、誰もが論理的になれないということを意味します。これはあまりにも現実離れしているでしょう。


長くなりましたが、以上です。「考えること」と「諦めないこと」で、ディベートの楽しさを味わえる人が一人でも増えることを、祈っています。

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