2013年5月4日土曜日

「オーソリ」という幻想

「オーソリ」と呼ばれている人は、毎年いるものです。
国内でもいますし、海外でもいます。
輝かしい実績(と思えるもの)や、尊敬(と思えるもの)を集めているわけで「すげーなー」とま青もいやすいですよね。僕自身、尊敬している先輩もいるので盲目になりやすいのですが。
 
ですが、「オーソリ」と呼ばれている人が必ずしも正しいとは限りません。ディベートだってしくるし、全部知っているわけないし、変なバイアスがかかることがあるし、いいディベーター=いいジャッジとも限らないし、知識が偏っていたりしたりするわけです。

ディベーターとして対戦するときは、「なにくそ」と思って立ち向かいましょう。「##さんだから・・・」というようなスタンスでは、ラウンドが始まる前から負けています。

ジャッジとしてスピーチを見るときは、「本当に正しいのか?」「モーションとのリンクは?」「ロジックは?」等、普通のジャッジをするときと同じように批判的に見ましょう。

自分のラウンドをジャッジとして見られる場合は、「本当に合理的・公平にラウンドをみているのか?」という視点でみましょう。一緒にジャッジで入っている場合も同様です。「おかしい」と思ったら「おかしい」と声をあげてしっかりと意見を述べましょう。

日本のディベート界の場合、年功序列というか先輩後輩関係と相まって面倒くさかったりするところもあると思います。しかし、「オーソリ」ができて特定の考えが広まっていればただの「老害」でしかなく、ヘルシーではありません。ディベート界の発展も遅れるわけですから。

重要なのは、常に自分の頭で考えることです。その人の「オーソリ」で判断することは、人を学歴や出身地などで判断することと同じくらい浅はかなことですよ。

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