2014年1月13日月曜日

Debating Cycle Theory



当たり前に聞こえるかもしれませんが、「練習はラウンドだけではありません」。多くの人は「とりあえずラウンドしよう」と思っています。練習と言えばラウンドで、ひたすらラウンドにラウンドを重ねます。別にラウンドがだめという訳ではありません。しかし、ラウンドだけを練習と考えるのは間違いです。ラウンドだけだとどうしても非効率的で、自分の弱点を必ずしも効果的に克服できるとは限らないからです。


野球の部活だとすれば、ひたすら練習試合だけやるわけではないですよね。試合以外にノックをしたり素振りをしたり色々な練習があるわけです。例えば守備が苦手な人なら、3時間くらいかかる試合をやるよりは、ひたすら守備練習をした方がいいでしょう。


 そこで、僕が提唱しているのはDebating Cycle Theoryです。当たり前のことかもしれませんが、僕は「ラウンド」と「ラウンド外」で起こっていることを一本の連続的な現象としてみています。そして全てをつなげることを意識しながら練習することを心がけています。




 もう少し細分化するここうなりますね。ラウンド前のリサーチや予習・プレパ時間・他の人のスピーチ・あなたのスピーチ・他の人のスピーチ・フィードバック・ラウンド後の復習という連続性によってディベートが成り立っていると理解しています。

 なんでこれは重要なのでしょうか?端的に言うと、こうやって練習しないと効率的じゃないってところにメッセージがあります。例えば僕が「スピ練は行ったラウンドの復習という形で行え」と指示することがよくありますが、これはこのサイクルを意識した発言です。「自分のスピーチ」や「フィードバック」を受けて「何が問題で、どのようにすれば解決できるのか?」と考えて実際に練習するというところに意図があります。

 また、もう少し補足するとただ音源きいたりしても、レジュメを読んだりしてもそれ単体では意味を持たないというところでしょうか 。

 例えば最近注目のブロガー・京大の横山君が書いた記事で、弱者の遠吠え:「レコーダーはディベーターの必需品?」というのがあるのですがこれも別の観点から言うと「音源を聞くこと」をどのように位置づけるかという話にもなると思います。詳しい内容は僕が書いているより深いのでそちらを読んでほしいのですが、僕なりに「音源を聞くこと」を位置づけると、例えば「自分が苦手なエクステンションの位置づけの仕方を探すために聞いてみる」とかになるかもしれません。まあもちろん、音源自体をそれ目的として楽しみながら聞くのもありだと思うのですが、ディベートの能力向上という観点からみると、自分の過去のラウンドや経験と繋げることは必須でしょう。

 ちなみに補足なのですが僕が好きな音源は、その時研究している興味関心や問題意識、もしくは持っている仮説によって変化しています。(Debate Videoに過去に紹介した音源があります)

 例えばWUDC 2010 QFを紹介した時は、Solidな1st Speaker Argumentation/Initial Clashについて考えていました。「出るべき議論が1st speakerから出ていない」「その話もっと早くほしかったね」というのはDynamics批判としてとらえるのではなく、「やるべきことができていない」と言い換えることができます。しかし、何でもいえる訳ではありません。では強いPMの時って(本来出るべき議論が出ている時)どういう感じなのだろうか。また、それに対応するLOというのはどんな感じなのか、というのを考えていました。
 まあもちろん後は細かいことを言えば僕はこのワールズに出ていて何を言っているか分からないけどとりあえずガングロとか言ってる!っていうところから「うおおおおすげええええ」っていうのになって初めて価値が分かったとか、色々個人的な思い入れとかもあります。(笑)

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