2014年7月22日火曜日

ディベーターがジャッジに抱く疑問④「それって私たちのチームにはどうしようもないことじゃない?」

今回はBPシーズンの幕開けということでBPのジャッジについて少しフォーカスして書きます。
BPのジャッジにおいて縦が入ってくると非常に比べづらいところがあります。特に斜めを比較するのは難しいですよね。(OGとCO、OOとCGとかですね。)
そこでポジションの特異性をしっかりと考慮することが重要なことはTechnicalityという概念からも明らかです。

BPのジャッジを聞いていてたまにポジションの特異性に配慮していない説明のしかたを聞くことがあります。

「OGの話は議論されずに浮いてしまったため、4位です。」
「OOとCGを比較すると、CGの議論は最後まで残ったのですが、OOの議論はCGに消されてしまいました。なのでCGの方が上です。」

こういった説明のしかたはディベーターに納得感を生みません。なぜなら公平性の観点が抜けているし「それで負けるの?」と思うからです。
誤解しないで欲しいのは、もちろん上記のような状況で結果的に順位がそのようになることはあります。あくまで説明のしかたの問題の話です。

ではまず一つ目の「OGの話は議論されずに浮いてしまったため、4位です。」という話です。
「議論されずに浮いた」ということは、OGの過失になるのでしょうか?
当たり前ですが、なる場合とならない場合があります。

なる場合と言うのはOGの話があまりにもAverage Intelligent Voterの観点からディベートに関係ない内容の時です。
例えばOppも同意してくるようなnon-contentiousな話であるかもしれませんし、モーションの肯定否定に繋がらないような話でしょう。
その場合「浮く」ことは当然OGが悪いでしょう。
とはいえ、僕はこの場合は「OGの話はRelevancyの観点から他のチームより評価しづらかったです」というような説明方法を用いると思います。

ならない場合というのは、OGが逆にRelevantな話をしていたものの、他のチームがふれなかった場合でしょう。

したがって、「議論されたかどうか」というのはあまり良い基準でないことがお分かりになったかと思います。「それって私たちのチームにはどうしようもないことじゃない?」と思われてしまうので。


「OOとCGを比較すると、CGの議論は最後まで残ったのですが、OOの議論はCGに消されてしまいました。なのでCGの方が上です。」

これに関しては、少し留意が必要です。OOの話を消したらCGの話が勝つことは十二分にあるからです。
とはいえ、比較の仕方が「OOの話の残り具合」と「CGの話の残り具合」というのはおかしい気がします。
なぜなら、OOはダイレクトに反論されず(せいぜいPOIだけです。なのでPOIは大事なのですが。)CGにダイレクトにエンゲージするのはCOだからです。
おそらくこのラウンドにおいては、エンゲージの観点でCG>>COであることは間違いないでしょうが、COのエンゲージ不足をOOに責任転嫁するのは無理があります。

なので「残ったかどうか」という基準はあまりTechnicalityの観点からもよくないでしょう。
「それって私たちのチームにはどうしようもないことじゃない?」と思われてしまうからです。

結論として、BPの説明の時に比べる「基準」の妥当性というのはTechnicalityの観点(すなわち、当事者の観点)から考えてみると測ることができるでしょう。
BPのジャッジングで、特に縦の要素が絡んでいる時、本当にその基準って納得できるものですか?
「それって私たちのチームにはどうしようもないことじゃない?」と思われる基準は、いけてないですよ。

2014年7月11日金曜日

100記事達成!

こんばんは!
なんとこの投稿で100記事となります。このブログも細々とやっていましたがついに100記事になると思うと感慨深いです。

僕が1年生だった頃はICUのOBのヤングマンさんがブログを書いていて本当に楽しく読んでいました。他にも、ICUのOBのぴかさんがブログを一時期書いていたりしてそっちも好きでした。

なんで僕が書いているかというと、そういうブログがいいなぁと思ったのがきっかけでした。コミュニティのことが書いてあってわくわくしましたし、振り返ってそういうことがあったなぁと思い出したり、自分が知らない頃の記述があったりして面白かったんですよね。

あと、他にも書いている理由としては、少しでもディベートコミュニティにおける公共財が残らないかなぁと思って書いています。MDIを私物化するわけにもいかなかったので、こういう形で書いているわけですが、日本コミュニティが強くなる一つの要因は全員が知見を共有する、何かコミュニティに還元できるものがあればシェアしていく、というようなことなのかなぁと思っています。自分のアイディアや考えが必ず良いとは到底思いませんが、少しでも考える材料になったり、また今後ブログを書く人がでてきたらいいなぁと思っています。

Twitterの@ak_debateの方も引き続きよろしくお願いします。

皆さんのブログやツイッターを楽しみにしているという声を励みにここまで頑張れました。後半年ほどのお付き合いだと思いますが、どうぞよろしくお願いします!

ak_debate

2014年7月10日木曜日

ディベーターがジャッジに抱く疑問③「なんでアーギュメントが立った/立っていないの?」

久しぶりにこのシリーズを更新します。

今回はArgumentの評価の仕方に関してです。

Berlin WUDCのBriefingによれば、Argumentとは「(モーションに関連する)特定の前提から結論までをロジカルに繋げるもの」とされています。

アーギュメントがどのように評価されたかというのがかなり試合を分けてきます。それは、リーダーであれ、デピュティーであれ、クロージングのエクステンションであれ変わりません。

そこで僕があまり好きじゃない表現を書きます。

 「アーギュメントが立っていませんでした」

なんであんまり望ましくないかというと、アーギュメントの強さは0か1か、すなわち立っているか立っていないかというシンプルな二項対立ではないからです。
アーギュメントの強度という概念は当然あると思いますが、システマティックに立つ・立たないという概念はちょっと違うんじゃないかなぁと思います。

例えば、よくあるのは「genericなので取れませんでした」「話が遠いので考慮しませんでした」「1分しか説明されていないので立ってませんでした」というような説明方法だと思います。


「generic」や「遠い」というのは、アーギュメントが相対的に「弱くなりうる」要因ではあると思いますが、「立たない」理由ではありません。

言い換えると、0か1かで説明するのではなく、グラデーションを意識するようにしましょう。

もちろん、留保として、アーギュメントの強さは、いわゆるジャッジが思う指標がいくつかあると思います。logic, relevancy, exclusivity, example, picturization, reality, word choice……等。それらは説得力を左右するファクターであり重要なのは非常に分かります。ただ、「それが無いから立たない」のようなシステマティックな説明ではなく、「どこまで評価できたがどここから評価できないのか」というのを明確化しましょう。


一つ例をあげます。例えば、ban Nazi symbolsのOppで"Free expression is important because it is about expressing how you believe and how you see the world with your own words.  That is when you convey important message to the society of your belief and thoughts.  That is exactly why liberal democracies have moved away from censorship, and really careful about banning expressions.  USA, for instance, heavily respects the first amendment"のような話をしたとしましょう。

まあぶっちゃけジェネリックですよね。とはいえ、「一般的に表現の自由がなぜ大事か」という説明はしていますし、word choiceも悪くないです。大事そうな雰囲気のアナロジーも出してはいます。とはいえ、やはり今回のNazi symbolとの関連性は薄いのは明らかなのでその分評価は高くしづらく、もしGovがNazi symbolに特有な話をしていた場合はこの話単体では勝てないでしょう。


もう一つ例をあげます。THW allow companies to voteのOppで、Extensionで"This policy does not only affect after elections, but also damages the citizen's opportunity to consider their preference regarding non-corporate issues.  When companies have the stronger right to directly influence politicians and citizens, it would lobby and campaign much more stronger than before as their demands may be realized.  Furthermore, politicians tend to discuss company's issue more in election campaigns in order to get the voting block.  This means that during elections, agendas related to companies would be likely to be prioritized, and thus not focus on issues such as privacy acts, gay marriage, female rights, etc.  These agenda also affect citizen's lives by daily rights of security, progressing rights of minorities, forming national identity, etc. Given that, citizens cannot debate or know about non-corporate issues."

というような話をしたとするとします。
だいたいジャッジとしては選挙後の話を一番に思いつく以上すぐ思いつく話ではないものの面白い視点です。おそらくNewになるでしょう(フレーミングとしても選挙後・選挙中という分け方をしてnewに見せています。)企業関連以外のアジェンダが優先されなくなるロジックも2つ出されていてOppのmodelによって起きそうです。

実は告白するとこの話はAustralsで僕が実際に2nd Negativeでしたような話です。ジャッジからの評価も概ねそのようなものでした。選挙中の情報や考える行為というのはARPとしても重要なのはわかるため評価はされました。事実、RFDにも入っていましたしパネルを含め3人のジャッジからの評価も良かったです。いい話だったと。Motionによって変わる話だし重要性もわかると。

ただし、例えばdemocracyとのつながりというprincipleの視点が少ないことや、election中だからこそなぜ大事なのか(その後の国民の運命を握るだとか)とかはもっと言えてさらに強くなったよねみたいなフィードバックをもらいました。それは確かにその通りで、そこは欠点であることには間違いないと思いました。


いかがでしたでしょうか。
大事なのは「アーギュメントの強度」という概念だと思います。0か1かではないです。間があります。「ここまでは評価できたが、ここが少し評価しづらかった」という説明方法に、してみませんか。

2014年7月9日水曜日

Australs体験記

Australsで感じたこと

6年目にして初めてAustralsに参加してきました。
結果は3勝5敗、スピーカーとしては辛うじてアバレージを越えて真ん中くらいの順位とかでした。
悔しい結果になったのは間違いないですが、同時に学ぶことも多くこれは形にしてディベート界にシェアしたいなと思うので書きます。

なお、個人的にはAustralsに関する考察はけーたのが秀逸だと思います。国際大会で結果を残したい人は確実に読むべきです。
(http://icuds.blogspot.jp/2010/07/auckland-australs-2010by.html)
多くの話はここで既に書かれているのですが、それでも新しいことを頑張って書きます。笑

けーたの書き方をぱくるので申し訳ないのですが箇条書きで行きます。
また、少し紋切り型な日本批判のような口調になるようなところもあるかもしれませんがご容赦下さい。
ちなみにモーションはこちらからどうぞ http://tab.australs2014.com/t/australs2014/motions/


1. ModelのWorkability
一番感じたのはここでした。
よく日本でも「Opp Modelって大事だよねー」とかくらいなことは言われたりすると思うのですが、本当に重視します。
Affirmative, Negativeどちらも「Modelがどのように作用するのか」という説明が強く求められました。

例えば、R2で That we should eject sporting teams from international competitions if their fans are found to have committed racist/sexist/queerphobic etc acts during matches
というモーションをやったのですが、個人的には「いやーこれさすがにかわいそうでしょwwwNeg楽勝!」とかと思っていたのですが普通に負けました。

その最大の理由がNegのModelがどのように作用するのかが説明不足だったとのこと。最初呆気に取られましたがよくよく聞くと確かにと納得しました。
Domestic lawや、Playerをpunishするモデルがどのように作用するのかというのをかなり細かく説明することが求められました。
日本だとよく省略されるようなイメージですが、かなり本当に「それでも罰されて自分が捕まりたくなくて……」というような丁寧な説明が求められるようです。

その反省を生かしたR3ではThat we should promote the notion that the decision to have a child is a selfish one
で、childrenを持つことも持たないことも両方promoteするモデルにより良いところにしっかりと気づくという話を丁寧に説明したところ評価されました。

なお、Modelは当然Affでもしっかりかかってくるため、Aff, Neg共にWorkabilityをかなり丁寧に説明する意識が必要だと思いました。

2. ModelのComparison
上記に関連しますが、「なぜAff/Negのモデルの方が良いのか」というのをExplicitに説明することが求められました。
例えばThat corporations should be allowed to voteのNegにおいては「SQのlobbying, CEOのvote等によって声は反映できているが、voteだとdisproportionateに企業の声を反映してしまうためだめ」というのを明確に言ったところcloseながら勝つことができました。

よくジャッジにComparisonしろ!と言われると思うのですがそれは必ずしも相手が一番守りたいものと自分が一番守りたいものの比較軸というわけではなく、Model全体としての比較を強く求められました。

3. Non-initial arguments(3rd, 4th...)
個人的にAustralsで一番手ごたえを感じたのは2nd Speakerの3rd, 4thが圧倒的に評価されるというところでした。
全てのラウンドで自分のArgumentがReasonに反映され嬉しかったです、という単純な感想文ではなく、けーたも書いているように2nd speakerのコンストは強く求められていました。

確かに1st argumentと比べるとintuitiveではないものの、重要なファクターになってくるのはおそらく1st Affirmative/NegativeのClashである程度重要な話が完結するためさらに議論を深めることが求められるからかと思います。
個人的な感覚として「少しユニークじゃない」「少し遠い」「少し解決しづらい」みたいなものでも、関連性がありPrinciple/Practicalどちらか的に必要だと証明すれば自分のModelの優越性を証明していることにつながっているという判断基準を持っているようでした。

少し批判的になってしまって非常に恐縮なのですが、日本だと相手の1st pointにClashするような形や、自分の1st Argumentの延長線上にあるような説明のしかたが強く求められる気がしました。
Australsにおいては(UADCでも感じていたことですが)、モーションをとって生じるArgumentであれば十二分にとられる感じでした。

例えば、That the West should not import food from nations with chronic food shortagesのAffにおいて、monocultureを止めるという話と、先進国における大量生産大量消費のカルチャーが無くなるという話はどちらも評価されました。
また、That corporations should be allowed to voteのNegにおいて、企業で働いていない人たち(Public servants, Househusbands/wives)へのstigmaの話も評価されました。

とはいえ、この話には当然留保が必要で、かなり丁寧に説明しつつ、イラストをしたりインパクトを盛ることは当然必要だというのは強調しておきます。

4. Uniqueness
「Uniqueness」という言い方はされませんでしたが、日本と同じくモーションの肯定否定に必要なユニークネスはかなり求められると思いました。
日本との違いだけ述べておくと、Uniquenessを多角的に分析することが求められました。
例えば、That developed nations should pay developing nations to not extract their fossil fuel resources (coal, gas, oil) という話において、fossil fuel resourceのUniquenessは環境を破壊するかもとかという話だけでは足りず負けました。
「特にexploitativeになりやすい」という分析などが特に必要になってくるらしいです。(詳しくはリサーチして下さい)
なので大事なのはユニークネス1個思いついて満足しないことなんだなぁと思いました。

5. Manner
これは大きいでしょう。語っても語りきれません。
正直「白人うめええええええええええ」って思いました。いやあ上手いです本当に。Replyとかそれだけでひっくり返して来ます。尋常じゃないです。
それで大事なのは可愛そうなイラストは人一倍訴えかけてきますし、くだらない話にはジョークで返してきたり、インパクトを盛るためにword choiceがかっこよかったり。
日本でも確かに「Mannerもみましょう!」って言うと思うんですが多分AustralsはもろにMannerの分が点数に上乗せされます。

例えばThat ransoms should not be paid to Boko Haram(またボコハラムwwwwUADCに続いて僕は縁がありますね)のNegでBoko Haramにkidnapされた人を助けるnecessityを「まじかわいそう」イラストを自分としてもかなりよくできたなと思ったら、この大会で唯一77を越えました。(やった!)
That we should eject sporting teams from international competitions if their fans are found to have committed racist/sexist/queerphobic etc acts during matches でのAffのメルボルンはgayかわいそうイラストがやばくて「いやいやnon-contentiousだろ」という自分たちのクレームを跳ね除けてきました。

今回NUSがブレイク落ち(まさかの4勝しかできず。。。)という悲劇があったわけですが、もしかしたらアジアとオーストラリアの一つの大きな壁はこれなんじゃないかと。
発音はまだしも、word choice、印象操作等は日本としても積極的に評価していくことが必要な気がします。

6. Reply DOES matter
Replyは本当に重きを置かれています。Best Reply Speakerというカテゴリーがあるくらいですしね。
日本だと一部のジャッジは自分のノートを整理したりしているわけですが(実は僕も昔やっていたのであんまり人のことを言えないのですが……)これはまずいなと。
真剣にReplyでひっくり返しにきます。
ブレイクラウンドの音源は絶対に聞くべきです。

ただ同時にNewは厳しく言われました。あくまで、起こった内容をベースに最大限に魅せるのは非常に大事で、ジャッジもReplyもRFDに必ず入れてきました。


個人的にはこんな感じのAustralsでした。いやーー本当に行って良かった!
オセアニアディベートまじ強いじゃないですか。Berlin WUDCとかGF全部オセアニアでしたし。
強い理由が分かりました。基礎に本当に忠実で、それを一次元上のレベルでやってくるんですね。
・自分のModelがどのように作用するのか、相手と比較してどのように良いのか?
・モーションの肯定否定をする(ユニークネスを説明する)
・強い3rd/4thを出す
・Mannerで持っていく。Replyでも勝負を決めに行く
こういう話って日本でも多少なりともしているわけじゃないですか。これを本当に徹底している印象でした。

そう考えると日本ディベート界も発展してきているんだなぁと本当に思います。でも、さらに発展するにはさらに意識をしていかないといけないんじゃないかなと。
世界のnormをつくっているのは今間違いなくオセアニアだと思います。そこを知るのは本当に大事かと。
これはアジアにおいても当てはまります。特にアジアのnormって強いディベーターがつくるわけで、それはAustralsとかにも理解がある人がジャッジしたりGFでスピーチするわけです。

なので本当に行ってよかったです。

余談ですが、こうやって日本と他のディベート界の考えの相対化とかしていけたらいいんじゃないかなと思います。
日本勢って多分音源とか、あとアジアの一部のディベーターをベースにここ数年発展してきたような気がします。
最近は、日本人以外のディベーターがいたりとか、留学してディベートの考えを持って帰ってきてくれたり、海外のジャッジ・AC・ディベーターの経験を持ち帰ってきてくれていてそれに比例するかのようにディベートのレベルがあがってきていると思います。
(もちろんそれ以外のファクター、例えば各人の努力とかも色々あると思いますが)一つのコミュニティ・ビルディングの一環としてこういう考察を個人的に知りたいなぁと。

学ぶことがたくさんあって本当に有意義な大会でした。組んでくれたパートナーや応援してくださった方に感謝の意を込め、また将来の日本人ディベーターの更なる活躍を祈って終わります。