2012年9月25日火曜日

<基準>論



ジャッジにおいて比較しましょう!とよく言われると思います。これはどういうことかというと、<特定の基準>を用いて、各チームがどうだったかを考えるということです。そして説明の際、その<基準>において、各チームがどのような出来だったのか言及することが必要になります。

実はこれは多くのジャッジが既に無意識のうちにやっているところもあります。例えば、"Issue-based"で見る場合は、どのように分析が深かったか/浅かったか→<分析の深さ>、反論があったか/無かったか→<Engageの有無>といった基準を用いています。
あと、BPにおいては、"Role Fulfillment"や、Asianにおいては"Dynamics" "Consistency"みたいな<基準>を用いることがあるとも思います。このようにディベートにおいては「<基準>による比較」が用いられています。

ここから少し話が難しくなりますが、<基準>を用いる上で留意することがあります。

第1に、基準があるとそれが「出来なかった」もしくは「出来た」方どちらかだけに飛びつきやすいことがあります。こういう時は落ち着いて、もう片方のチームはその基準の下どうだったのか吟味しましょう

第2に、用いる基準の妥当性を吟味する必要があります。例えば、"Principle'/"Practical"という基準だけで比べると、モーションによっては実は一方にとって著しく不公平である可能性もあります。
また、Issue-basedという基準ではBPにおいては不公平なこともあります。(Ex. OGとCO)要は、<基準>を選別する作業が無意識的であると、公平性を損なう場合があります。「そもそも私が見ている基準は公平なのか?」と自分に問いかける作業が必要ということです。

第3に、他の基準との兼ね合いのバランスのとり方という非常に難しい論点が出てきます。ディベートの見方は一つではなく、比べる基準が複数あり一方の基準では片方が勝っているものの、他方の基準ではもう一方が勝っているということはざらにあります。
例えば、Issue-basedではGovだが、DynamicsではOpp。UniquenessはGovの方が深いが視点の多さはOppが勝る。抽象論ではGovだが具体論ではOpp……等ということがありえるわけです。ここはどうすれば良いのでしょうか?

ここは個人的にも完璧な答えが出ていません。例えばですが、抽象論と具体論どっちが勝るのかというのは人それぞれです。(わかりやすく具体化したほう?それとも、非常に高度な論理を展開したほう?どっちが凄いのでしょうか?)
なぜかというと、どの基準をどのように重視するかというのが、まさにジャッジの「Diversity」であるからです。そこは正直あまり論理ではなく、好みの領域に若干入ってしまうことが否めないからです。ですが、「好み」で片付けるのもどうかとは思いますよね?

おそらく、このような時にジャッジに求められるのは、このように判断を下すのが非常に困難な時に、なぜ特定の基準を用いたのか?なぜその基準よりももう一方の基準を優先したのか?という説明責任ではないでしょうか。なぜそういった結論に至ったのか?を丁寧に説明することが重要です。

ディベートという競技が「他者を説得すること」に本質がある以上、ディベーターとジャッジは異なる考え方を持つのは自然です。大事なのは、両者が「好み」「Diversity」を受け入れること、認識すること、そしてそれをどのように理由付けしていくかではないでしょうか。

2012年9月12日水曜日

テートから学んだこと

"BE CONFIDENT."
このフレーズから、テートは語りだした。
「難しいかもしれないし、当たり前のことかもしれないけれど、大事なことなんだ。」とテートは続けた。
「相手がオックスフォードだからといって、君たちの議論を無視していいっていうルールはない。無視されたら、無視したってことをしっかりとジャッジに伝えるんだ。悪いのは君たちじゃなくて、相手なのだから。」


国際大会、特に世界大会においてアジア人はまだ白人によるバイアスによって苦しめられている側面がある。国際大会において結果が伴っていない以上ある程度不可避なことでもあるのだが、それは露骨であり、メモをとらないとまではいかなくても真剣に聞いてくれないことは度々あることはざんねんながら今でもある。

そこで大事なのは、しっかりと声をあげること、である。

「そして臆してはいけない。相手が白人だからといって、そっちの方が頭がいいというわけではない。」とテートは熱弁した。「違うのは、英語がもっと話しやすい環境にいたかどうかだけだ。だから、自信を持つんだ。」


はっとした。どこかで、自分も壁をつくっていたんじゃないか、と思う。後輩にはドヤ顔できても、OxfordやMonash相手だったら、果たしてありのままの自分でスピーチできただろうか?果たして、ジャッジでディスカッションするときに自分の意見を言えただろうか?

臆してはいけない。そして、自信を持つ必要がある。

2012年9月10日月曜日

練習の効率化+苦手を克服しろ!

ただただラウンドをやっても意味がありません。

問題があるところを一番効率的に解決できるような練習方法をとりましょう。

例えば、パートナーとの息があわないようであれば、プレパ練をする
PMで安定しない場合は、PMスピーチのスピ練。
特定の分野が弱いならば、そこのリサーチ。

などなどです。

特に、苦手なところをどうするかというところに集中しましょう。上手いところを伸ばすよりも、苦手なところを上げるほうが伸びしろが大きかったりします。

あと、やや余談ですがジャッジからしてみると「ミス」は減点になりやすくマイナス評価になりやすいです。そしてそういうところは目に付きます。ですが、「無難」にこなせていれば、なかなか評価がさげづらいという側面があります。当たり前といえばそうなのですが、重要なのはジャッジからすると「長所」よりも「短所」が目に付きやすいのです。

2012年9月7日金曜日

「結局A/Pでどうなるかを考えました」

「結局A/Pでどうなるかを考えました(重視しました)」

このようなジャッジングが多いように思います。確かに、モーションをとる・とらないという話である以上After Planの話は重要であることは分かります。

しかし、それですと不公平が出てきます。それは、Principleだったりだとか、S/Qの分析であったりするわけです。(もちろん、Principle-Practical不可分論をとれば、どっちも必要になるのですが)

例えば、SQの分析とAPの分析によりPractical Argumentが成立している、という見方をとりましょう。そう考えると、Practical Argumentとは「SQとAPの間の絶対値の争い」とみることができます。SQのハームを証明し、それが(常識的に)無くなる事が分かれば、APの説明がそこまで必要ではなかったりもするわけです。

また、APだけでいいなら”Problem"という概念もなくなりそうな気もします。。。


大事なのは、「APで別に決めてもいいのですが、APを見るならなぜAPで決めたのか」という論理的裏づけではないでしょうか。

結局は、分析がどのような意味を持つのか。いわゆる「So what」の作業がジャッジとしても必要なのではないかということですね

2012年9月4日火曜日

本を読もう!

本を読みましょう!
先人の知恵はすごいです。カントとかルソーとかは今のディベートにも通じるところがあります。(WUDC 2010のGFはまさにこの2人の思想が出ていると思います。)

といっても、古典は結構大変だったりするので、新書で良いのでスタートしましょう。個人的には、『貧困大国アメリカ』あたりは、とても読みやすいですしいいとっかかりになると思います。

Australs 2012 Grand Final



Australs 2012のグラファイです。BPの今季節はずれでは?と思う人もいらっしゃるかもしれませんが、このCaseの深め方は参考になります。すごくレベルが高いです。

BPだとどうしてもアイディアベースになってしまうことを考えると、こうやってAustralsに立ち戻るのもいいのではないでしょうか?

そしてなにより、やはりMonash。分かりやすくて分析が深いというスピーチスタイルは、日本勢が目指すスタイルなのではないでしょうか?

Matter Dumpはやめよう

最近、マターが浅くなっている傾向があるようです。
アイディアは面白いのに、どう評価すればいいか分からない……こういうアーギュメントが多いという話をよくききます。

たくさんの視点を出すことは大事ですが、大事なのはそれをしっかりと深めていく作業です。Assertion, 簡単なReasoningだけではなく、その理由づけを深めていきましょう。

また、とりあえず4 reasonsといっておけば、その理由の一つ一つが浅くても大丈夫だと思っている傾向もあるようですが、その1個1個の理由を深めるということを忘れないようにしましょう^^

2012年9月2日日曜日

Adjudication CoreのDiversityの意義

僕は、Adjudication Coreに関して以下のような人がやるべきではないか、という考えを持っています。

1. モーションをつくったり、Adjudication Guidelineをつくったり、バブルラウンドをジャッジするという特性から、ディベートをある程度理解している人

2.その仕事量の多さ、連携のアクターの多さ等を考えると、運営経験がある人、もしくはそういった能力に長けている人

3.Under-representされている人たち。例えば、ジェンダー、地域、大学、学年等。(いわゆる、Diversity)


具体的には、1.ないし2.の人が2-3人を大学をばらしながら選び、3.の人を1-2人、というイメージです。

今のディベート界だと、2.もしくは3.が少し看過されているようにも思えます。特に深刻なのが3.のダイバーシティでしょう。

では、なぜダイバーシティが大事なのでしょうか。

いくつかの観点から正当化できます。

1.機会の平等
ACを恣意的に選ぶ制度ですと、運営団体の「好み」もしくは、強豪校ばかりが選ばれてしまう傾向があります。(そして、個人的にはACの好みのモーション等がでるためそれがまた強豪校を有利にしている側面も多少あると思います。)
ディベートを行っていて、コミュニティに属している以上、機会の平等は至極当然の権利なのではないでしょうか。

2.エジュケーショナル・イフェクト
いわゆる教育効果ですね。ACをやることで学ぶことが多いため、それがそのコミュニティに還元されます。僕自身も、ACを何回かやらせてもらいましたが、その度に学ぶことが多く、本当にやらせてもらってよかったと思っています。

3.ロールモデル
説明するまでもありませんが、「あんなふうになりたい」というような効果があります。がんばろうというモチベーションにもでてくるため、Under-representされているコミュニティの活性化にもつながります。

4.大会の質の向上
むしろ、色々な意見が入ることで満足度も高くなり、また色々なモーションも出てきたりするなどより大会の質も上がります。

5.Integration
ACが強い大学ばかりやっていて、そうじゃない大学は蚊帳の外というのは、結構な疎外感を生みます。いわゆる大会の「内輪」化であり、あんまり空気としてもよろしくなく、ディベート人口が減る理由にもなりえます。


このように考えると、実は【長期的にも】すごく効果がある制度のように思えます。

では、なぜ反対意見があるのでしょうか。みてみましょう。

よくある反論その1。 頑張った人可哀想
しかし、枠を、1人奪うわけじゃなくて、1人追加するわけだし、そんなに機会を奪わないのではないでしょうか。現状でもACに同大学は1人という暗黙の了解がありますし。

よくある反論その2。ディベートの質下がる!! 
一昔前のquotaのモーションでのequity violationもどきアーギュメントです。その1人だって未経験の人を呼ぶわけじゃないですし、それにむしろ、なかった視点を提供してくれることもあるだろうから、むしろあがるはずです。

って感じですね。

個人的な見解としては、とりあえず強い人ばっかり集めようというのは、相当安易だし、結局のところ強豪校や権力を持っている人たちの既得利益を守ろうとする構図でしかないような気がします。

別にACが、ディベートが下手な人がやれというわけではなく、何事もバランスが大事ですし、長期的な視野に基づいたAC選びをするといいんじゃないかなあという見解です。