2017年7月18日火曜日

Definitionの戦略

日本語即興型の大会にいらして下さっていた方からご質問をいただきました。これは英語でも通じる話だと考えさせられましたので、どちらのオーディエンスにも向けて書いてみます。

まず、いただいた質問は下記のとおりです。

大会を拝見して「即興はdefinitionより内容重視」とはこういうことかと思いました。ただそこで、でもdefinitionしないと選手はジャッジのvoteのブレを制御しにくいのでは?と疑問も浮かびました。
例えば、予選最終試合の宇宙船が10人乗りなのか1万人乗りなのか。ここは即興なら定義しなくともよい、と講評で聞きました。でも、くじで10人決めるのと1万人決めるのって野党側が出す生命維持の価値観でみたときの印象がかなり違うように思います。
ジャッジングの物の考え方が根本的に異なるのか、それとも定義するしないの度合いはケースバイケースであり、定義によって勝敗が変わるケースもあるのか。ご教示いただけないでしょうか。  

注:予選最終試合の議題(地球に巨大隕石が衝突することが発覚した。国際社会が最善を尽くした結果、人類の唯一の生存方法としてシェルターを開発したが、生存可能な人数は限定的である。 国際社会は生存する人類を、個人の能力や専門性を考慮せず、くじ引きにより決定する)


まず、非常にハイレベルな質問ですね。私個人の見解として、2点挙げたいと思っています。

①まずおっしゃる通り、ジャッジの考え方が大きく異なる部分はあるかと思います。
即興型で特徴的なのは、あくまで内容だとされているからです。また、細かい実現可能性はさておき、どちらにしろ起きる現象の是非について議論してほしい、というところもあるかと思います。
事実、特に近年、Definitionによって生じるメリット/デメリット(Argument)の扱いは「とられない」傾向にあるかと思います。(この傾向は、加速化していると個人的に感じています)

背後にある考え方としては、上記のような範囲を問題とする定義(生存人数など)であれば、単純にHard Case(ラディカルなもので、メリットも立ちやすい一方、デメリットも大きくなる)、Soft Case(差分が小さいもので、メリットも少ない一方、デメリットも小さくなる)なのかの違いになるのみで、その他の議論に大きく影響しないため、そのジャッジの方も「定義不要」とおっしゃったのだと思います。

②一方で、近年そのような傾向が国内で強まっているようにも感じますが、それはDefinitionを戦略的に活用するチームが少なくなった、ということも原因かと思います。
(①と鶏と卵の関係でもあるかもしれませんが)

国内でも、昔はDefinitionを細かく練り上げるチームが多かったイメージがあります。(特に、調査型出身者や、細かい議論が好きな人に多かったと思います)
海外でも比較的そうだったと思っていて、例えば2011年頃まで特にアクティブだった、TateというマレーシアのディベーターはDefinitionを戦略的に活用することで有名でした。
例えば、下記の動画では2:40程Definitionに使っています。(スピーチの1/3に相当!)



Definitionを「戦略的に行う」というのはどういう意味でしょうか。2つの意味合いがあると思います。

(1)自らのサイドのArgumentをより際立たせる
例えば、THW make parental leave mandatory.
において、(1か月とかよりも)1年ほどの育児休暇を導入する、という話にしておくほうが、自分が話すであろう子育ての話などがより際立つかと思います。

THW not cover unhealthy lifestyles under the national healthcare system.
においては、unhealthy lifestylesを喫煙、飲酒などに設定しておくほうが、より具体的にジャッジがイメージできるでしょう。

(2)相手のサイドのArgument、反論を弱める
THW introduce affirmative action for LGBT in the parliament.
において、「既存の議席の中で行うのではなく、新たに議席を追加し、その議席をLGBTが争うようにする」という定義をTateは行っていますが、
これは、一見、相手のデメリットである「議席が奪われたことによる反発」等を消しに行っている戦略と見せることができます。
THW allow euthanasia for children.
において、親の同意を必須とすることも、子供の"immaturity"を消しに行く戦略かと思います。

実はかくいう私も、Definitionには比較的凝るほうです。
特に実は、アジア大会では相当に気を付けます。なぜなら、感覚的ではありますが、Definitionにより厳しいジャッジ/ディベーターが多いと個人的には感じていたからです。特にDefinitionをしっかり行わないことで評価を下げられるケースや、否定側がその重箱の隅のような内容をつついてくるケースもあったからです。

例えば、アジア大会で下記のような議題が出ました。
THW reduce a prisoner's sentence for every state-approved book that they read
変にジャッジのVoteをぶらしたくないと思った私は、下記のようなDefinitionにしました。

a. state-approved bookは、政府が設置し、民主的正当性が担保できるような第三者委員会によって決める。決め方は文科省が教科書を決めるような方式を参考にする。
b. 選ばれる本から、反社会的な内容は除く(リハビリにつながる内容)
c. 1冊によってどの程度刑期を削減できるかは本の難しさなどにも依存するが、1冊読んで1年減らすような形ではなく、おそらく1月単位。
d. 1冊きちんと読んでいるかを確認するために、レポートの提出も義務付ける。内容をしっかりと理解しているかなどは国語の教師に値する人材が判定

a,bを支えに、自分のサイドのリハビリ(改心)の話を伸ばし、c,dのような話から否定側がいうであろう、「さぼるのではないか」「不公平なのでは」というような話を削りに行っています。また、d.を活用して「本を読むという行動がpatienceやdiligenceを生み、社会復帰がしやすくなる」のような話も立論しました。

ジャッジ(オーストラリア大会準優勝経験等)からは「細かいね!(笑)」と言われたものの、対象がわかりやすく、それが不公平ではない形できちんと立論にも効いていたため高評価をもらい、(それもあってか)勝利しました。

長くなりましたが、私も質問者と一緒で、Definitionをしっかり行うことは、確かにジャッジの"ブレ"を減らすことにつながりやすいと私は考えています。
ただ、ジャッジが近年あまり評価せず、Definitionをもとにメリット/デメリットを大きく建てるチームがいなくなってきていることから、最近は下火になっているというところかと思います。

一方で、ジャッジ/相手にもよるという月並みな答えにはなってしまいますが、今後Definitionを戦略的に使うチームなどが出てきたら、また考え方が変わるのかもしれません。

2017年7月9日日曜日

日本語即興型ディベートの可能性 メモ

今日は日本語即興型のディベート大会に審査員として行ってきました。
(PJのマネジメントに少しだけかかわらせていただいており、大会には、議題のアドバイスと、事前資料作成などで携わりました)

即興型/調査型のディベーターがいりまじっていて、とても新鮮でした。
どっちもいいところがあって、すごくよかったです。

思ったことをいくつか、箇条書きで。

・即興型と調査型の大きな差分は①想定しているジャッジ像(専門家VS一般人)、②プレパ時間、③議題の幅
・調査型の優位性は、(①からくる)議論の厳密性とエビデンスの重視、(②、③からくる)Horizontal思考の徹底的な鍛え上げとリサーチ力
・即興型の優位性は、(①からくる)トップダウン/マクロ・ミクロのわかりやすいストラクチャーや感情的な説得力、(②からくる)即興性・スピード感、(③からくる)多くの議論への対応(教養/柔軟性)
・英語即興型と比べた際に日本語即興型の優位性は、日本語であるがゆえのよりクリティカルさ、political correctnessへの配慮、言葉への込める重さ等。

>All
日本語即興型ディベート面白いのでは?と思っています

>英語即興型ディベートをやっているみなさん
・調査型のHorizontal思考と議論の厳密性は盗むべき
・長時間かけて考えるのはたぶんもっとやったほうがいい(調査型はそこに命かけてるので。さらにいうと、うまい即興型の人は結構やってます)
・日本語でやるほうがもしかしたらより説得的なのかどうか精査できる場合があるのかも?(昔一部の大学でやっていた日本語即興型もありなのかもしれない)

と思いました。取り急ぎ