2012年9月7日金曜日

「結局A/Pでどうなるかを考えました」

「結局A/Pでどうなるかを考えました(重視しました)」

このようなジャッジングが多いように思います。確かに、モーションをとる・とらないという話である以上After Planの話は重要であることは分かります。

しかし、それですと不公平が出てきます。それは、Principleだったりだとか、S/Qの分析であったりするわけです。(もちろん、Principle-Practical不可分論をとれば、どっちも必要になるのですが)

例えば、SQの分析とAPの分析によりPractical Argumentが成立している、という見方をとりましょう。そう考えると、Practical Argumentとは「SQとAPの間の絶対値の争い」とみることができます。SQのハームを証明し、それが(常識的に)無くなる事が分かれば、APの説明がそこまで必要ではなかったりもするわけです。

また、APだけでいいなら”Problem"という概念もなくなりそうな気もします。。。


大事なのは、「APで別に決めてもいいのですが、APを見るならなぜAPで決めたのか」という論理的裏づけではないでしょうか。

結局は、分析がどのような意味を持つのか。いわゆる「So what」の作業がジャッジとしても必要なのではないかということですね

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