2014年4月29日火曜日
JPDU Spring Tournament 2014で工夫した点
春Tでは、こうしたことに気をつけました。
基本的に、ACの皆様とそれを実現させてくれたコミや参加者の皆様のおかげでできました。色々新しい試みができたことを非常に感謝しています。
特にタブのお二人にはかなり大きな負担をかけました。。。ありがとうございます!
繰り返しますが、別に僕がやったぜどやーーーというのではなく、みんなのアイディアと、実行力のおかげです。
今後の大会でも是非参考にして下さい
General Principles
-RookieもMainもどっちも大事に。Rookieのラウンドにも良いジャッジを優先して入れたり、モーションも配慮
-ジャッジがフェアに評価されつつ、ジャッジのためになるような制度づくり
Rules/Briefing
-Mandatory POI (JBPからの引継ぎ)
-Average Intelligent Voterの強調(Relevancy, Exclusivity等の裁量、Informed Global Citizen)
-Mutual Exclusivityの重要性の強調(briefing, scoring, adj test)
-Motion選びの際の番号を紙に書いて行うことの義務化
-Score Rangeの拡大
-Grand Final Best Speaker/Rookie Grand Final Best Speaker
Motions
-モーションは複雑すぎず。考えれば分かるように。でもIRとかも。
-Asiaモーション
-Motion Diversity
-公平性、3つのモーションの中でも大丈夫か
Adjudication
-ジャッジフィードバックシートの詳細化(全体性・基準の妥当性・比較・分かりやすさ)
-Chair adjによるPanel/Trainee Adjへのfeedback義務(点数つけた後一言)
-Feedback Sheetのコメント義務化
-ジャッジ評価詳細公開
-ハイレベルなAdjudication Test(ハイレベルで難しいラウンドをジャッジできるかどうか見極めたい)
-Adjudication Testで詳細な質問リスト(ラウンドに関してRFD以外の説明)
-Adjudication Testのフィードバック
-2日目もジャッジ間のフィードバックシートの導入
その他
-モーション発表時、マッチアップ時の音楽工夫
-Individual Adjudicatorの大量リクルート
2014年3月20日木曜日
ディベーターがジャッジに抱く疑問②「なんでtieになるの?」
前回の記事では「何でそこで見たの?」という疑問に関して書きました。
なお、誤解がないように強調しておきますがtieになることや優劣の判断をつけられない時もあります。大事なのはtieに本当になっているのか?なぜtieになったのか?ということをディベーターが知りたがっているということです。
今回の記事では「そこで見たのは分かったけど・・・なんでtieになるの?」という話をしたいと思います。
「Principleはtieになってー」
「子供のcharacterizationは優劣がつけられなくてー」
こういうような表現ってよく聞くと思います。
でもディベーターからしてみると「え、ちょっと待って」ってなることもあるんですよね。
また、これは個人的な経験則でもあるんですが、ジャッジをしてディスカッションをしていると「tieになった」という時「ん?」と首をかしげてしまうことが多いのです。
なぜかというと、ディベートってそう簡単にtieにはならないからです。笑
なので、個人的には「本当にtieなのか?」という問いを自分に立ててみて欲しいと思っています。
つまり、本当にそのイシューってtieなのでしょうか。
「govもoppも説明していたから」tieになるとは限りません。
govが「どう説明したか」とoppが「どう説明したか」が同列の時tieになるからです。
そう考えると、「Argumentの関連性・深さ」や「Refutationの鋭さ」をちゃんと評価しているのか?と見直してみると良いのかもしれません。
「Argumentの関連性・深さ」について説明しましょう。
Argumentは主に関連性と深さで説得力が増すと思います。(もちろん他の評価軸もありますが。)
関連性というのは、Spirit of the Motionを反映しているのか、それともモーションのキーワードやステークホルダー等が守りたいパラダイムにおいて生じるexclusiveな話をしているのか、といったところから評価することができます。
深さというのは、どういったreasoningがされたのか、どういったイラスト/picturizeがされたのか、どういった例(case study, analogy)を出したのかというようなところから生じるでしょう。また、principle/practicalの両観点があったり、相手の話を考慮しているかどうか等も深さの対象になるはずです。
次に「Refutationの鋭さ」について説明しましょう。
鋭さというのは、感覚的なものかもしれませんがどれくらいそのArgumentの信憑性や信頼度を下げたかに左右されると思います。巷で流行っている"not unique"は相手の話を削ることには作用しているものの、多少なりと残ってしまうと感じやすいですし、"not always true"のようにメカニズムを切りに行く話では「それって毎回そうなの?」という疑問をジャッジに残してしまうでしょう。
なお、誤解がないように強調しておきますがtieになることや優劣の判断をつけられない時もあります。大事なのはtieに本当になっているのか?なぜtieになったのか?ということをディベーターが知りたがっているということです。
結論:
もちろんtieになることやそこだけでは優劣の判断をつけられないことも多々あると思います。ただ、簡単にtieにしていないかどうか見直すことは十二分に必要な気がします。その際、Clashの中でArgumentの関連性や深さ、Refutationの鋭さ等を留意しておくといいかもしれません。
2014年3月19日水曜日
ディベーターがジャッジに抱く疑問①「何でそこで見たの?」
いいジャッジというのは何なのでしょうか。
色々な定義があると思いますが、そのうちの一つに「説得性・納得性をディベーターに提供する」というのがあると思います。そう考えるとこれは逆に言うとディベーターがジャッジに対して疑問を抱かないことが必要になってくると思います。
したがって今回何回かにわたってディベーターがジャッジに対して抱く疑問に関して説明していこうかなと思います。
その一つとして「何でそこで見たの?」というのがあると思います。
お恥ずかしながら、僕は昔よくジャッジにかみついているタイプのディベーターだったと思っていて、最近ではましにはなったのかとは思うのですがそれでもまだ結構質問する方だと思っています。(噛み付いた皆さんすみません。。。)
その中で自分がどういうときに噛み付いているのかなぁと考えると、その一つに「なぜそこでみたのかなあ」という疑問がある時なように思えます。
おそらくなのですが、それは「ジャッジが最終的な判断を下した場所(特定のクラッシュ、分析等)」になぜ至ったのかという部分が明言化されていないからだと思います。
最終的にpracticalな部分でみたりとか、contextでみたりとか、engageの度合いでみたりとか、色々な判断があるんだと思います。それはディベートやジャッジにおいて様々でしょうし、色々な場合があると思います。
実際問題として、ジャッジはそういうことを無意識のうちに考えている場合もありますし、ディスカッションでかなり実は議論されたもののそれが単純にアウトプットに至っていない場合もあります。ただ、困るのはディベーターとしていきなりその思考プロセスを説明されずに「ここで見ました」のように言われると「えっ」と思うんです。
もう少し具体的な例をあげたいと思います。
例えば、3つくらいクラッシュがあって、(A, B,. C)Cが実はABにも繋がる前提であり、ディベートでもかなり時間がとられて説明されていた内容だったとします。そして、A,B単独では優劣をつけることが非常に困難だったとしましょう。
その場合、ジャッジがいきなり「Cの観点で・・・」と説明し始めると、ディベーターは「AとBはどこいったんだ!」「何でそこで見たの?」と思ってしまうんだなあと思います。特に、ディベーターが見ているディベートと、ジャッジが見ているディベートはぜんぜん印象がかわってくるので。
従ってその場合、A,Bではなぜ優劣がつかなかったのか、なぜCが重要なクラッシュになったのかというプロセスを説明することが重要なのかなと思います。
あとよくあるのが、「プリンシプルはプラクティカル依存だと思ってプラクティカルで見ました」という説明です。プリンシプルの種類にもよりますし多くのディベーターの説明のしかたによってぜんぜんかわってくるかもしれませんが、プリンシプル自体の説明の深さの説明で差がつくことや、またプラクティカルがよかったけどプリンシプルがないgovと、プリンシプルはよかったけどプラクティカルは分からなかったoppとかだと「プラクティカルでみました」というような判断は必ずしも公平に聞こえない可能性も出てきます。
別にプラクティカルでみようがプリンシプルでみようがいいのですが、なぜ「そこで見たのか」というプロセスがここでも重要な気がします。
結論:
若干抽象的な議論で申し訳ないのですが、言いたいこととして
「何でそこで見たの?」という疑問を解消するためには、
「なぜそこで見たのかという思考プロセスを明示する」ことを意識すると良いと思います。
2014年3月11日火曜日
Principleと日本人?
Principleが日本ディベート界に根付いたのは最近だとよく言われます。
事実、THW torture terrorists.とかのNegでFundamental Human Rightとかの話があまり立たなかったり、feasibilityがかなり重視されていた時代もあったように思えます。2005年頃、当時UTDS OGの中川さん・斉藤さんはかなりPrinciple Argumentを重視していたものの、日本では当時はあまり流行っていなかったとのことです。
Principleを話す人はマイノリティだった時は確実にあったのでしょう。
そうなると2つの疑問が生まれます。
・Principleが当初日本で流行らなかったのはなぜでしょうか?
・そして、最近はなぜPrincipleが流行るようになったのでしょうか?
前者に関しては、私も良く分からないのですが、巷でよく言われている説として、「Academic Debateの名残を受けている」とされています。ここに関しては私は完全な素人なので分かりませんが……。
また、最近興味深い記事があったので紹介します。
http://www.huffingtonpost.jp/rootport/discuss_b_4917090.html?utm_hp_ref=japan&ir=Japan
一部引用します。
なんとなく頷けそうではあります。そもそも、カルチャーとしてプラクティカルな議論が日本社会において重視されている可能性はあります。ただ、定量的にも分かりませんし、サンプルとしてもテレビ番組や2ちゃんねる等であると、なんとも言いがたいところはあります。
後者に関しては、シンプルに海外の影響なのでしょうか?海外音源や、日本人の国際大会への参加の促進によってPrincipleの「輸入」が増えたのでしょうか?
もちろん、定量的に全くもって証明もできていませんし、分かりませんが実感としてこういう現象が起きているのかもしれませんね。
ただ、もしこのような状況が起きているとしたら、単純に海外音源の真似事をするのではなく、筆者の言葉を借りれば「物事の本質を考える」ことこそが不可欠なのかもしれません。
その方法は、やはり先人に学ぶことと、普段から思いを寄せることなのでしょうか。「XXとはそもそも何か」という問いから発信して。
事実、THW torture terrorists.とかのNegでFundamental Human Rightとかの話があまり立たなかったり、feasibilityがかなり重視されていた時代もあったように思えます。2005年頃、当時UTDS OGの中川さん・斉藤さんはかなりPrinciple Argumentを重視していたものの、日本では当時はあまり流行っていなかったとのことです。
Principleを話す人はマイノリティだった時は確実にあったのでしょう。
そうなると2つの疑問が生まれます。
・Principleが当初日本で流行らなかったのはなぜでしょうか?
・そして、最近はなぜPrincipleが流行るようになったのでしょうか?
前者に関しては、私も良く分からないのですが、巷でよく言われている説として、「Academic Debateの名残を受けている」とされています。ここに関しては私は完全な素人なので分かりませんが……。
また、最近興味深い記事があったので紹介します。
http://www.huffingtonpost.jp/rootport/discuss_b_4917090.html?utm_hp_ref=japan&ir=Japan
一部引用します。
日本では、プラクティカルな議論が偏重されがちだ。新聞もテレビも、インターネットでも、フィロソフィカルな議論をしようとすると「現実的でない」「夢想的だ」という烙印を押される。こうして日本人は、物事の「本質」について議論する機会を失うのだ。とあります。
プラクティカルな議論をするためには、土台となる価値観を固めなければいけない。価値観を固めるには、フィロソフィカルな議論が欠かせない。しかし日本では、国の政策でも、企業の事業計画でも、フィロソフィカルな議論は滅多にされず、いつの間にか"空気"で決まっている場合が多いのではないだろうか。
なんとなく頷けそうではあります。そもそも、カルチャーとしてプラクティカルな議論が日本社会において重視されている可能性はあります。ただ、定量的にも分かりませんし、サンプルとしてもテレビ番組や2ちゃんねる等であると、なんとも言いがたいところはあります。
後者に関しては、シンプルに海外の影響なのでしょうか?海外音源や、日本人の国際大会への参加の促進によってPrincipleの「輸入」が増えたのでしょうか?
もちろん、定量的に全くもって証明もできていませんし、分かりませんが実感としてこういう現象が起きているのかもしれませんね。
ただ、もしこのような状況が起きているとしたら、単純に海外音源の真似事をするのではなく、筆者の言葉を借りれば「物事の本質を考える」ことこそが不可欠なのかもしれません。
その方法は、やはり先人に学ぶことと、普段から思いを寄せることなのでしょうか。「XXとはそもそも何か」という問いから発信して。
2014年2月24日月曜日
「自分より上手い(?)」とされている人と対戦する時、ジャッジする時の心構え
「オーソリ」という概念は僕は嫌いなのですが、「世間一般的に自分より今のところ成績を出している」とされる人とラウンドすることや、またジャッジとしてラウンドを見る事とはあると思います。
その時、どのようなマインドセットが重要なのでしょうか。
基本的にどちらにおいても、「実はたいしたことないんじゃないか」と思うことだと思います。
もちろんラウンド前・中の話です。私生活で人を見下すとかそういうのではないです、もちろん。
以下、ディベーター編とジャッジ編で分けて話します。
【ディベーター編】
「気持ちの持ち方」と「実際のパフォーマンス」はかなり相関関係があるというのは様々な研究によって明らかになっています。本当ならもっと出来たはずなのに諦めてしまって本来のパフォーマンスが出せないなんて、すごくもったいないと思います。
正直言って、ディベートなんて各モーション、ポジションによって大きく影響が出ますし、パートナーとの相性等も関係してきます。必ずしも相手が過去にブレイクしたり優勝したりしているからって、今回も勝つっていうわけではないのです。
なので、自信を持ってラウンドに入ってください。
一度どこかの投稿で書いたと思いますが、「白人が言ったからといってその瞬間、そのスピーチが日本人が言った内容よりも優れることなんてない」(意訳)ということをTateも言っていました。多くのレクチャラーが日本人にアドバイスする時に「自信を持つこと」と口をすっぱくして言っているのは、どこかで諦めている姿、もしくは自信がなさそうに映っているのかもしれません。
そういう意味で、ドヤ顔をし続けることというのは、すごく大事なんだと思います。
【ジャッジ編】
ジャッジしている時は、ディベートをしている時以上にさらに自信を持っていいと思います。
なにしろ、あなたには大きなアドバンテージがあるからです。ラウンドを客観的に見てよいという。笑
ディベーターはかなりあせっている筈です。プレパ時間も短いですし。それに、毎回良いスピーチをできるとは限りませんし。なので、ミスもでますしディベートのボトルネックにも気づきやすくなります。
それに、必ずしもディベーターの実績とジャッジの実績は比例関係にあるとは限りません。(あるときもありますが。)したがって、堂々とジャッジしてください。
「この話ってモーションの肯定・否定してるっけ?」「疑問に答えてる?」「相手にエンゲージしてる?」というような問いを立てていけば自然にラウンドが見えていくはずです。訓練はもちろん必要ですが。
以上です。もちろん、ディベーター、ジャッジ共に練習をすることは前提にあります。
いざ、ラウンドで「オーソリ(?)」とあたるときや、見るときにこういうことを念頭においておくといいんじゃないかなあという位置づけです。
その時、どのようなマインドセットが重要なのでしょうか。
基本的にどちらにおいても、「実はたいしたことないんじゃないか」と思うことだと思います。
もちろんラウンド前・中の話です。私生活で人を見下すとかそういうのではないです、もちろん。
以下、ディベーター編とジャッジ編で分けて話します。
【ディベーター編】
「気持ちの持ち方」と「実際のパフォーマンス」はかなり相関関係があるというのは様々な研究によって明らかになっています。本当ならもっと出来たはずなのに諦めてしまって本来のパフォーマンスが出せないなんて、すごくもったいないと思います。
正直言って、ディベートなんて各モーション、ポジションによって大きく影響が出ますし、パートナーとの相性等も関係してきます。必ずしも相手が過去にブレイクしたり優勝したりしているからって、今回も勝つっていうわけではないのです。
なので、自信を持ってラウンドに入ってください。
一度どこかの投稿で書いたと思いますが、「白人が言ったからといってその瞬間、そのスピーチが日本人が言った内容よりも優れることなんてない」(意訳)ということをTateも言っていました。多くのレクチャラーが日本人にアドバイスする時に「自信を持つこと」と口をすっぱくして言っているのは、どこかで諦めている姿、もしくは自信がなさそうに映っているのかもしれません。
そういう意味で、ドヤ顔をし続けることというのは、すごく大事なんだと思います。
【ジャッジ編】
ジャッジしている時は、ディベートをしている時以上にさらに自信を持っていいと思います。
なにしろ、あなたには大きなアドバンテージがあるからです。ラウンドを客観的に見てよいという。笑
ディベーターはかなりあせっている筈です。プレパ時間も短いですし。それに、毎回良いスピーチをできるとは限りませんし。なので、ミスもでますしディベートのボトルネックにも気づきやすくなります。
それに、必ずしもディベーターの実績とジャッジの実績は比例関係にあるとは限りません。(あるときもありますが。)したがって、堂々とジャッジしてください。
「この話ってモーションの肯定・否定してるっけ?」「疑問に答えてる?」「相手にエンゲージしてる?」というような問いを立てていけば自然にラウンドが見えていくはずです。訓練はもちろん必要ですが。
以上です。もちろん、ディベーター、ジャッジ共に練習をすることは前提にあります。
いざ、ラウンドで「オーソリ(?)」とあたるときや、見るときにこういうことを念頭においておくといいんじゃないかなあという位置づけです。
2014年2月11日火曜日
MDO 2011 Semi Finalとバーデンコントロール
あの有名なMDO 2011 Semi Finalのディベートですね。 TateのPMスピーチも安定していてうまいのは流石ですが、それ以上に輝いているのはLoganのGWのスピーチでしょう。
合理的なバーデンコントロール(burden control)をしている点で特徴的です。
バーデンコントロールとは、「自分のサイドが証明しないといけないことを明確にしたり、必要に応じて下げたりすることによってモーションの肯定や否定につなげる」行程のことです。
例えばTateとかは、"reasonable improvement"をバーデンとしていることがよくあります。独裁国家の民主化とかは一朝一夕にはいかないけれども、これくらいはなるよね。みたいな言い方でうまく説明しようとしています。
今回のLoganの場合、ジョークを使いながら巧みにバーデンをコントロールしているのは流石ですね。
ディベートのバーデン解釈が複数あったところで、「scarce resourceにおけるtrade-offで、prioritizationのディベートである」ということは確かにPMからも言っているのですが、それをかなり明示的に強調している貢献は大きいですね。
留意すべきなのは、「gov/oppのバーデンはこれだ!」というよく分からない、非合理的なバーデンを投げるという印象操作の失敗例とは異なっているということです。バーデンは別にとりあえずディベーターが言ったら発生するわけではなく、あくまでAverage Reasonable Person (or Average Intelligent Voter)として合理的に納得できるものでないといけないので。それは、一般人がモーションをみたときに感覚的に感じるもの、もしくはディベーターの説明から合理的と解釈できるものではないといけないのは、「モーションの肯定・否定」の考え方の根底にもありますね。
今回のLoganは、コンテキストを説明することによって合理的にモーションからこのバーデンが導き出せることを丁寧に話していること、そしてoppが他のフレームワーク(need-base等)ができたはずなのにしなかった、と言っているところが、ディベートのバーデンの解釈をgovにぐっと引き寄せたのではないでしょうか。
合理的なバーデンコントロール(burden control)をしている点で特徴的です。
バーデンコントロールとは、「自分のサイドが証明しないといけないことを明確にしたり、必要に応じて下げたりすることによってモーションの肯定や否定につなげる」行程のことです。
例えばTateとかは、"reasonable improvement"をバーデンとしていることがよくあります。独裁国家の民主化とかは一朝一夕にはいかないけれども、これくらいはなるよね。みたいな言い方でうまく説明しようとしています。
今回のLoganの場合、ジョークを使いながら巧みにバーデンをコントロールしているのは流石ですね。
ディベートのバーデン解釈が複数あったところで、「scarce resourceにおけるtrade-offで、prioritizationのディベートである」ということは確かにPMからも言っているのですが、それをかなり明示的に強調している貢献は大きいですね。
留意すべきなのは、「gov/oppのバーデンはこれだ!」というよく分からない、非合理的なバーデンを投げるという印象操作の失敗例とは異なっているということです。バーデンは別にとりあえずディベーターが言ったら発生するわけではなく、あくまでAverage Reasonable Person (or Average Intelligent Voter)として合理的に納得できるものでないといけないので。それは、一般人がモーションをみたときに感覚的に感じるもの、もしくはディベーターの説明から合理的と解釈できるものではないといけないのは、「モーションの肯定・否定」の考え方の根底にもありますね。
今回のLoganは、コンテキストを説明することによって合理的にモーションからこのバーデンが導き出せることを丁寧に話していること、そしてoppが他のフレームワーク(need-base等)ができたはずなのにしなかった、と言っているところが、ディベートのバーデンの解釈をgovにぐっと引き寄せたのではないでしょうか。
2014年2月3日月曜日
ロジックってどれくらい大事なの?
「ロジックってどんくらい大事なんですか?」
という問いは、誰しもがなんらかのタイミングで聞いたり、思ったりしたと思います。
僕自身は非常にロジックを重視するタイプのディベーターであるため、多少なりバイアスはあると思いますが、何度考えても重要な気がします。
もちろん、いくつかの条件はあります。
例えば、「信じられないロジック」は僕も否定しています。
とりあえず無理やりcounter-intuitiveなロジックを出されたり、「それって起きるの?」って思うようなメカニズム。これらは、常識的にとれないものはとれないでしょう。
あと、「伝えたいことを効果的に伝えられなくなるほどのロジック重視」も僕は否定しています。
最近「パブリックスピーキングの要素をディベートへ」という声が前より強くなっているような気がしますが、それは同意しています。第三者に説得的に伝えるには、詰め込みすぎても伝わりませんし。
7分という制約の中で、学問書ほど書くのはできないでしょう。
また、「ロジックだけを重視すること」も僕は違うと思っています。
つまり、人を説得する上では感情的な側面とかも出てくるので。陳腐な二項対立ではありますが、ロジックとイラストのバランス、と言ってもいいかもしれません。
感情を持っている人を説得する上では、感情にも訴えかける必要があるでしょう。
しかし、ロジックはディベートの根幹にあることは間違いないでしょう。
僕がこう主張するのは、主に2つの理由があります。
第一に、ディベートの趣旨を達成する上でロジックが不可欠だからです。
そもそも、「モーションの肯定・否定とは何か?」と考えてみた時におそらく結局のところ、一般人がモーションを見たときにどう思って、その疑問を一つ一つ解消していくに尽きると思います。
よく使う例で恐縮なのですが、THBT Japan should possess nuclear weaponsというモーションであれば、「何で日本が?」「なんで自衛隊でも、軍隊でもなく核武装なの?」という疑問は当然に出てくるでしょう。それらの立証責任が出てくるのは当然であり、立証するには何かしらのロジックが必要になってくるわけです。
ここで、有名な演繹法なり、帰納法なりが登場するわけですね。三段論法とかも演繹法の一つですね。一応Wikipediaから「演繹」「帰納」を引っ張ってきます。
演繹(えんえき、英: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法である
帰納(きのう、英: Induction、希: επαγωγή(エパゴーゲー))とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則・法則を見出そうとする推論方法のこと。
ディベートのような構造が出ているところから考えても、例えば法廷でも感情に訴えることも必要なところもあるとは思いますが、それ以上に条文や、判例との関係性が重視されています。
ディベートが人の営みについて議論しており、かつそれを参考としている学問でも「学説」などという形で「論理」が非常に重視されています。
したがって、ロジックが相当大事であることには間違いないでしょうし、また「論理的な説得方法」よりも「感情的な説得方法」を優先する合理的な理由もないように思えます。
第二に、日本人に不足しているところだという問題意識があるからです。
また、この前UADCを優勝したバレリーに「日本人は何が足りないと思う?」って質問したところ、「日本人はマターが少なく、分析が浅い」傾向があると言われました。確かに、UADCに言った時に「分析がまだまだ浅く、もっと深めないといけない」と言われたのは覚えています。ABPに言った時も、「Case Studyや、Comparison, Context (3C)でもっと分析を深めろ」と何度も言われました。
テートと一緒にジャッジをした時も、またはされた時もかなり細かくロジックを追っていることが特徴的でした。テートやローガンが"I have 3 levels of analysis"のように「level」と表現して分析を深めている傾向がありました。
「分析の深さ=ロジック」というわけではないですが、分析の深さとロジックの相関関係は強いと思います。というのも、ロジックなしに分析を深めるとなると、限界がありますしイラスト、Case Studyですら背後のロジックに支えられているからです。
僕が伝えたいのは、ロジックだけを鍛えなくちゃいけない!というメッセージではありません。もちろんバランスはあるので。
ただ、ロジックを軽視するのはまずいですし、ディベーターもジャッジも重視しないといけないでしょうし、たぶん今後も磨いていかないといけないところなんだろうなぁというところです。
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