2015年3月20日金曜日

学生引退ポスト① ぼく・わたし・あなたにとってのディベートの意味

引退ポストその1です。全3回のうちの1つです。おそらく。

1.ぜひとも、「あなたにとってのディベートの意味」を探してください。
今、ディベートが上手くなろうと必死になっていませんか?勝ち負けにこだわっていませんか?僕も(今もそうですが)特にそういう時期がありました。同期が上手くなっていたり結果が出ているのを知れば知るほどあせって、悔しくて、結果が出るためにラウンドを必死にする毎日でした。結果が出ないと、つらくてディベートから離れたくなって、自己嫌悪になって、何やっているんだろうと思っていました。

隠しても仕方ないので正直に告白すると、僕はかなりの負けず嫌いです。そればかりか、多分(多分ではないですね)ひねくれています。勝ったら嬉しくて、負けたら悔しがる、いわゆる子どもっぽいと形容されるような人間です。負けず嫌いなのはもちろんいい側面もあると思いますが、僕は視野狭窄的な負けず嫌いでした。勝ち負けにこだわる人間でした。大会に出たら絶対ブレイクしたいし、特に2年生になった時は部長になったこともプラスして優勝したいと。特に先代部長がめっちゃくちゃ強かったからこそ自分で部の名前は汚したくなかったし、同期に負けたくなかったし。そんな想いでディベートにひたすら取り組んでいました。

正直、最近は同期も、先輩も、後輩もうまいし、僕自身の力不足もたくさんあって負けることが増えてきました。それでも、満足度は今の方が大きい気がします。

それは、なぜでしょうか。

それは、「自分にとってのディベートの意味」を考えるようになったからだと思います。少し大げさな表現になってしまい大変恐縮なのですが、自分の人生のどの部分にディベートが位置づくのか?ということかと思います。もう少しかみくだいてみると、ディベートがどう役立ったのか?ディベートの何が好きだったのか?ディベートで何を得たかったのか?こういった問いでしょうか。

さらに正確に言うとすると、「勝ち負け」以外のディベートの価値とは何だったのか?ということだと思います。勝ち負けにこだわるな、とよく言いますが正直じゃあどういう価値なの?という話は実はあまりされていない気がします。

では、僕にとってのディベートの意味というのは何だったのでしょうか。僕はディベートから何を得て、学んだのでしょうか。僕はディベートの何が好きだったのでしょうか。僕はディベートをどう捉えているのでしょうか。僕は「勝ち負け」以外の何がディベートの価値だと思ったのでしょうか。

いったんこれを僕から外して、一般論的にディベートの意味というのは何なのでしょうか?巷ではよく論理力だとか英語力だとか、または他大学との交流だとかが言われています。全部正しいと思いますし、答えはそれこそ多様だしどれも合理的だと思います。

今回、僕なりの答えに関して、今後書いていきたいと思います。

断っておくと、これは僕の自己満足もあると思います。終止符を打つために、振り返っている部分は正直あると思います。でも、それだけじゃなくて、こういうことを考えるようになってからディベートがもっと楽しくなって、気軽にできるようになったのがあって、多くの人に「自分にとってのディベートの意味」を考えて欲しいなと思ったため書きたいと思います。もしかしたら、皆さんは僕なんかよりも早くディベートの意味を見つけているかもしれません。でも、もしそ模索していたり、他の答えのためのヒントが欲しいという人がいれば、もしかしたら少しお役に立てるかもしれません。

2. 僕にとってのディベートの意味
では、僕はどのようなディベートの価値付けをしたのでしょうか。まず、巷でよく言われているようなことに関して2点述べたいと思います。

まず第1に、「色々な考え方を知って、自分でも出せるようにしたい」というのがありました。僕が英語ディベート部に入った一つのおおきなきっかけは、当時の部長のフィードバックのクオリティの高さがありました。「こういう話もできるし、こういう話もできる。こういう視点もある」といった話をたくさん毎回教えて頂けたのです。それはもう、どんどんどんどん出てくるのです。アイデアの滝と表現するのが正しいでしょう。特に当時の僕は(今も層だと思いますが)頭が柔軟に回るほうではなければ、アイディアもあまり出ない人でした。ラウンドが始まってアイディアがまったく出ず、1つのArgumentを言って爆死したことなんてざらです。今思い出してもジャッジに酷評された気がします。優しい先輩ですら言葉につまっていた気がします。なので「少しでもアイディアが出せるようになりたい」というのがありました。おそらく、アイディアの出し方を色々模索したのはそれもあったと思います。一時期コンサルの考え方である「MECE」にかなりはまったり、ディベート的思考様式を体系化しようとしたのもそうでした。自分が知らない分野の本も結構読んだのもそういった背景があったのかもしれません。(なお、直近では哲学にはまりました。)その意味で、最後のWUDCではかなり天にも昇る気持ちになれたのだと思います。AustralsChampionらにアイデアの質を褒められたのは一つの区切りを迎えられたんじゃないかなと自分でも思っています。ディベートとは離れてみても、思考や知識の引き出しが増えたというのは大学生活の貴重な財産な気がしています。

第2に、巷でよく言われていますが「英語力」というのがありました。確かに僕は帰国生であり英語でかなり不利益を被ったことは少なくともディベートにおいてはありませんでした。しかし、スピーチ力に関してはそこまで高くなく、特に同期にスピーチ力が高いスピーカーが多く、また海外ディベーターへの憧れもありました。僕は、1・2年生のときは特に「マター重視」のディベーターであり、かっこよさのかけらもありませんでした。ただひたすらにロジックを重視していて、英語力で負けると地団駄を踏みました。くそーと。中身を見ろよ!と。印象操作で負けたくないんだ!と。その目標はだんだん「英語力の向上」へとかわっていき、気づいたら格好いい英語表現を勉強したり、スピーチのコツをせっせと調べている自分がいました。やっぱり英語はうまくなりたいし、英語や「マナー」も説得力に寄与するのは間違いないわけです。マターも大事だけどマナーも同じくらい大事。そんな風に考えて、英語ディベートとは関係ないスピーチやプレゼンの動画もかなり見た気がします。昔は表現できなかった「宗教・文化の重要性」や、「normがどうなるか」のようなふわふわした話がジャッジにとられるようになったときは、何事にも変えがたい達成感を味わいました。

ただ、これらは正直僕がディベートに対する価値付けの中では比較的優先順位が低い気がします。それよりも、僕にはディベートのモチベーションがありました。こっちの方が本番です。3つあります。

第1に、自分とは違う立場に対する寛容性や理解だと思います。これは2レベルあって、まず英語ディベートを通じて自分が今まで知らなかった、もしくは「ありえない」と思っていた立場に立つことが多くなり現実世界のアドボカシーに関してもう少し理解が進んだということです。例えば、僕は死刑には反対であるイデオロギーを持っていて、それは冤罪の理由だとかやはり犯罪者の人権に関してかなり重要性を感じていたからです。ただ、死刑に賛成する立場に立たされることによって死刑に賛成している人はどういうことを考えているのか?と思い調べるようになりました。そこで自分がずっとそんなに重要なのか?と思っていた「感情論」というのはなるほど、被害者からしてみると心のそこからの叫びなんだろうなという理解ができました。いわゆるディベート的には「犯罪者の権利と、社会(被害者)の権利」と片付けられるとは思うのでしょうが、リアリスティックに、現実社会ではこういう考えがあるのだなと。個人的にはまだ死刑は反対ですが、それでも死刑存置派に対する寛容性は前より格段にあがったと思いました。他の例としても、「企業の権利」「宗教の権利」「セクシュアル・マイノリティの権利」だとか「外交におけるタカ派・ハト派」「功利主義」「パーソン論」等、世の中の様々なアドボカシー・立場に関して「なるほど」と思えるようになったのは(もちろんまだまだ深く知っているかは議論の余地があると思いますが)すごく意義があるなと思いました。特に、私事ですが「理不尽な状況から脱するお手伝いをしたい」という自分の夢・信条にも関わってくるという点で非常に意味を持っていました。というのも、僕は海外の経験で同じクラスに障碍者の友人、先住民の友人、スカーフを着用するイスラム教徒の友人、などなど色々なバックグラウンドの人と一緒に住んでいて、それってすごく素敵なことだなと感動したことがあったからです。それが僕が法律や公共政策をやりたい理由にもなっていたので、ディベートってそういう点でも大きな一部分を占めていたりしました。

次のレベルとして、自分の考え方やバイアスを相対化することができたというのがあります。特にディベートは他者を説得する方法は多様であり、またその他者というのは非常に多様です。どうすれば説得的なのか?という答えは一人ひとり違うわけです。分かりやすい例としては、自分が「勝った」と思ったときでもジャッジが負けの判断を下します。自分が「Govだ」と思ったときに他の人が「Oppだ」と言います。特に1・2年生の時は(今と度合いが違うだけではありますが)よくジャッジに噛み付きました。かなり失礼な態度だったと思います。当時の方々には本当に頭が上がりません。恥ずかしすぎるし、人として終わっていると思います。(とはいえ、結局最後までジャッジには質問し続けたと思います。。。本当失礼だったらごめんなさい。)そもそも自分の価値観や説得の枠組みが絶対ではないですし、それがディベートの本質だからです。人が何に重きを置くのかを知り、それはなぜなのか?と知ることが僕をほんのちょびっとかもしれませんが本当の意味での「多様性の受け入れ」を行う手助けをしてくれた気がします。

第2に、特に後輩の成長に携わる機会があったことです。もちろん断っておきたいのは僕が誰かの後輩をがっと成長させられたとかという話ではなく、ほんの少し手助けができて、それで感謝してもらえたときの喜びが大きかったということです。僕ができたことというのは限られていると思いますし力不足が多いとは思いますが、本人が喜んでくれたとき、本人が結果が出たときの嬉しさは自分のそれよりも大きいものでした。特に、プレパ練を普段から見たり、ディベートの相談にのった後輩が結果を出したときの喜びは何事にもかえがたいものでした。長くやっていたおかげもあって、幸運にもそのようなめぐり合わせは何度かあったのですが例えば、ある後輩のペアが決勝まで勝ちあがったときは涙が出そうになりそれを必死にこらえていた時がありました。また最近もある後輩のチームが勝ちあがって、全力で、必死にスピーチをしているところ見てじーんとしてしまいました。ある後輩たちからお礼にとプレゼントをもらったときは、本当に嬉しかったです。小学生みたいな感想文ですが、本当にそんなかんじです。それだけではなく、幸運にも、関西地方や中部地方のレクチャーや、九州地方の大会にも呼んで頂け、その声がかかったときは本当に毎回嬉しさでいっぱいになりました。繰り返しますが、別に僕のおかげだというおこがましいことを言うつもりはありません。他の人からのインプットもあったり、彼・彼女らの努力がものをいったりするからです。しかし、とはいえ、とはいえそれでも嬉しさというのはあるもので、それがまた毎年梅子杯や紅葉杯のような1年生大会に足を運んでしまう理由でもありました。

第3に、ディベート外でも仲良くさせてもらったり尊敬できたりする人たちに会える機会があったことです。ディベートを行う人はたくさんいますが、中には本当に優秀な方も多く、ディベート以外のフィールドでご活躍されていたり、ディベート以外の能力がすごく高かったり、または人間としてすごく尊敬できたり、居心地がよかったりする側面が多く、大会以外でも仲良くさせてもらう機会がたくさんありました。特に最近はある関西の大学の後輩とすごく仲良くさせてもらえており、日々色々学ばせてもらったり、楽しく会話につきあってもらったりしています。ある他大学の先輩には、就職活動や引越しまで幅広く相談に乗って頂きました。これらは本当に氷山の一角で、他大学の先輩にもかかわらず夜中まで就職活動の相談にのって頂いたり、同期で僕の面倒くさい相談にのってくれる友人がいたり、後輩でも僕なんかにかまってくれる人がいたりして、非常に幸運だなと思っています。他にも、そうですね、数え切れないと思うのですが飲み会だとか、食べログランチだとか、モノポリー、ダーツ、ビリヤード、カラオケ、麻雀、人狼、などなど、色々ディベート以外でも関わった気がします。ディベート界で得たこのつながりは、ディベートを引退した後も維持したいなと勝手に思っています。狭いコミュニティであり、かつ大会の頻度が高いため日本全国の人と知り合いになれるというディベートの固有性があったからこそなせたことなのではないかと思っています。

ここでは挙げられなかったこともたくさんあります。運営経験を通じたやりがいや楽しさ、理論化する面白さ、何かに打ち込む青春、などなど、挙げたらきりがないと思います。あくまで3つあげると、上の3つになるというところでしょうか。こうやって文章にしてみると、すごくお世話になったんだなと改めて感じるところです。本当にありがとうございます。


ディベートの世界に足を踏み入れたのは、様々なきっかけがあると思います。英語を話せるようになりたかったから。モデルディベートでみた先輩がかっこよかったから。将来に役立ちそうだったから。色々あると思います。そのきっかけやわくわくが何だったのか?楽しいって思った瞬間ってなんだったのか?自分って何をしたいのか?と考えれば考えるほどディベートの意味について考えることができるのではないでしょうか。ぜひとも、「あなたにとってのディベートの意味」を見つけてみてください。そうすると、ディベート人生がより豊かになる、かもしれません。

長文失礼しました。

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